ある動画を見ていて面白い言葉を聞いた。
「サプライズアクション」
今まで自分がやったことのないこと、これまでの自分だったら絶対にやらないだろうということ、
それを指す造語のようだ。
今の位置からは見えない世界が開けていく。
新しい景色を見ることで、自分の人生を切り開く実感を得ることができる。
動画主は、月に一度の「サプライズアクション」を推奨していた。
それを1年間続けることで人生が変わるのだという。
人は歳を取れば取るほど、新しいことに挑戦しなくなる。
心も体も凝り固まって、これまでのやり方にしがみつくようになるのだ。
しかし、時代はどんどん先に進んでいる。
自分をアップデートし続けなければ、時代から取り残されてしまう。
目に見えるものだけが全てではない。
いくつになっても先のことを考えて行動をしなければ、つまづいた時に取り返しのつかないことになる世の中だ。
だから準備が必要。
その準備としての役割を果たすのが、人間性の幅を広げるためのサプライズアクションなのかもしれない。
思えば、今の私は自らサプライズアクションを起こさなくても、変化・変化の連続だ。
駆り立てられるように私の周りを蠢く「変化」という名の魔物は、これでもかというくらいに、私にまとわりつく。
サプライズアクションを起こさなくても、サプライズシチュエーションの最中にいる私の人生は、確かに前に進んでいるのだ。
その中で私はさらにサプライズアクションを起こす必要があるのだろうか。
それはわからない。
少なくとも言えることは、私は今のサプライズシチュエーションから、自分をアップデートさせるための努力をしなければならないということだ。
ただ漫然とやり過ごして良い時期ではない。
これから先の人生を力強く生きるために、自分の足で歩くために、私は今の環境から学ばなければならない。
死ぬまで学びを求められるのだ。
「経験」の主体者として、私が何を学んで、何を感じて、周りにどのような影響を与えたのかが私の人生の全て。
サプライズアクション。
歩みを止めないために、意識しなければならない言葉だ。
私はまだまだ人間として成長し続けたい。