「クリティカルヒット!」
「やったー!」
というコントで人気を博した芸人がいた。
それを見るたびに私はこう思っていた。
「的を得ない話」の急所を捉えて、的確に回答することができれば、変な軋轢を生むことがなく双方得をすることになるのに、と。
オンライン上では、都知事に立候補した石丸伸二氏と社会学者の古市憲寿氏のやり取りに対して、どちらが勝った負けたなどと盛り上がっているが、私から見れば相互理解を目指していない時点で、どちらも負けだと思う。
古市氏の攻撃的な質問に対して、石丸氏は鼻からメディアの質問にまともに答える気はないから馬鹿にしてかかる。
そもそも古市氏の質問が敵意剥き出しなのだから、石丸氏からすればカチンと来るのだろう。
しかし、それでも質問されたことに対して答える意思のない石丸氏の態度にも酷いものがあった。
どちらも相手に対してマウントをとることが目的だから話が噛み合うことはない。
このやりとりによって、どちらも株を下げる形となったのだから、どちらも負けである。
話題になった時点でテレビショーとしては成功なのだろうけれども、このやりとりを見て、いい大人が何をしているんだか、と思った人が大半ではないだろうか。
「話の急所を見つけるスキル」
いわゆる「解像度」を高めるためには、抽象化と具体化を繰り返し、相手の理解度に応じて的確な抽象度でアウトプットできるようになれば良い、と最近読んだ本に書いてあった。
言わんとすることはわかるし、本ではそのためのトレーニングなんかも書いてあったが、私からすれば、それはある種の超人的なスキルであり、一朝一夕で身につくものではないと感じた。
だから単純に、相手の言わんとすることがなんなのか、それを理解する努力を続けることが一番の近道なのではないかと思った。
それならば私にもできそうだ。
要領が悪かったとしても、建設的な質問を繰り返す中で、コツコツと相互理解を深めていけば、その間のやり取りで信頼が生まれる。
その過程が案外大事だったりする。
大事なのは相手に対する姿勢なのだ。
一を聞いて十を知るような超人的なスキルは、あるに越したことはないが、必須だとは私は思わない。
それよりも、相手を尊重して信頼を得られるスキルの方が重要なことが多い。
人気商売では他人を攻撃して目立ち、知名度を上げることが大事なのかもしれないが、長い目で見れば、そういう人は聴衆に飽きられたら消えていく。
「人」が「人々」になった途端、1人の持つ責任感などゴミクズに変わる。
持て囃していた人たちが掌を返して攻撃に転ずることも珍しくない。
聴衆の熱に冒された「熱中症」は、人の心を狂わせるのだ。
人間性は、地道な振る舞いの積み重ねで磨かれていくもの。
実力だけでは足りない。人間性が追いついていないと、どこかで足元を掬われるのだ。