
この人の態度は、やる気がないのだろうな。
この人の言動から察するに、功名心が先行しているのだろうな。
楽をしたい。認めてもらいたい。成長したい。
同じ職場で働いていても、働く社員のニーズは様々だ。
雰囲気を察して、相手の心情を判断しなければならない機会が増えた。
気をつけなければならない。
私にはそう見えていても、私の物差しではそう判断できても、本人の気持ちが私の主観に当てはまるとは限らないのだ。
例えば海外にルーツのある人ならば、打ち合わせに遅刻して参加しても、なんの悪気もないのは当たり前だ。
重箱の隅をつつくような言動ばかりを口にする人だって、そこに悪意はなく、過去の失敗から細かいことまで完璧にしないと気が済まない神経症気質なだけなのかもしれない。
「人は経験を信仰する生き物」
その人の信仰は私の目には見えない。
何にルーツを持っていて、何を行動規範としているのか。
その人のことを深く知らないと、私にその人を判断することなどできないのだ。
だから決めつけてはならない。
推測はしても良いが、そこから先に踏み込む際は、確かな根拠が必要なのだ。
そこに慎重にならないと、一歩間違えるだけでハラスメントに該当すると訴えられることとなる。
それを避けるためには、相手に何かを指摘する際には、明確な根拠を持つことが必要なのだ。
たとえ、上司と部下であっても、そこに上下関係はない。
あるのは、ただ役割の違いだけ。
それを履き違えてしまうと足元を掬われるリスクのある時代だ。
「管理職は罰ゲーム」
そういう風潮は日増しに強くなっている。
それを罰ゲームにしないために、日頃からのコミュニケーションで信頼を得ていくことが大事なのだ。
どこで足元を掬われるかわからない。
自らが得をするために悪意を持って些細な事実を取り上げて、私のことを失脚させようとする人がいるかもしれない。
コンプライアンスがどうのと厳しく取り締まりすぎると、かえって窮屈になる。
何事もバランスが大事なのだ。
今の世の中は、少しそのバランスがおかしくなっていると感じる。
どこがどうおかしいと言語化することは難しいのだが、本能とは別の方向にばかり進もうと無理をしているのではないだろうか。
人が機械に近づくことを目的として働いている。
生産性、効率化。
それを突き詰めた先に、人類にとっての輝かしい未来はあるのだろうか。