「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

何か言葉を発している

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娘が何か言葉を発するようになった。

それも単発のものではなく、何か意味のありそうなくらいに長く言葉を発するのだ。

 

その意味を読み解くことはできないが、何かしらの意思を明確に示していることは間違いなさそうだ。

どんどん要求が明確になっていく。

こうやって自我が形成されていくのだろう。

 

歳とともに、自分の成長を実感する機会は少なくなっているけれど、娘の成長を通して、確かに時が流れていることを実感する。

 

時の流れるスピードは同じではない。

歳を取れば取るほどに、1年間の人生に占める割合が小さくなるのだから、1年間が短く感じることも頷ける。

極端な話、20歳の時の1年間と、40歳での1年間では、2倍ほど体感スピードが違うのかもしれない。

 

すぐに娘は私にもわかる言葉を発するようになるのだろう。

それは私に取っては一瞬の出来事のように思えるかもしれない。

しかし、娘にとってはとても長い道のりなのだろう。

 

体感スピードが違うのだ。

私と娘は、同じ時を生きているようで生きてはいない。世界の見え方が根本的に違うのだ。

そのことを理解して接しないと、どこかで大きな間違いをしてしまう恐れがある。

 

子供との歳が離れれば離れるほど、感覚の違いに戸惑いを覚えるのかもしれない。

まだまだ自分の意思も明確に示すことのできない娘が、いつから明確な言葉を発して、いつから私のことを言葉で言い負かすまでに成長するのだろうか。

 

その道のりは、娘にとっては長いが、私にとってはおそらくそこまで長くはないのだろう。

これから先の未来に想いを馳せるたびに、私は自分の役割が変わってきていることに気がつく。

 

私の人生は、自分の成長だけを追い求めるフェーズから、周りの人たちを育成する役割の方が大きくなってきたのだ。

とはいえ、自分も成長し続けなければ、育成する人たちから魅力的には映らないはずだ。

今まで以上に、目的意識を持って時を過ごさなければならない。

 

子供が生まれて初めて思う。

もう自分は子供のままではいられないのだと。

そういう自覚を持つことができただけでも、一つ先のステップに進むことができているのかもしれない。

子供の成長する姿から、多くのことを学ばせてもらう。

そこへの感謝を忘れずにいたい。