タイトルが目につくと、それだけでアクセス数が増えて収益に変わる時代だ。
だからキャッチーなタイトルをつけるために、発言者の真意とはかけ離れた「切り取り」での発言を取り上げた記事が蔓延る。
そして、それが拡散されたらもう手遅れ。
真意とは違うことが発言者のイメージとして定着してしまうのだ。
「切り取り」ならばまだ弁明の余地があるが、
今は簡単にフェイクニュースを作ることができる時代だ。
悪意を持って全くのデマを拡散することも可能。
イメージで風が作られる時代。
そのデマが聴衆に受け入れられてしまったら、全くのデマによって名誉毀損を受けることも珍しくはなくなるだろう。
何が真実なのか、それを見分けることは困難な時代。
中身がなかったり、心の底では人のことを馬鹿にしているような不誠実な人だとしても、発信力の高い人に人気が集まるような、そんな歪な時代へと進んでいるのかもしれない。
「切り取られた情報」ばかりがネット上を駆け巡る。
その人の本質なんてものは、その人と直接近いところで接し続けている人にしかわからないはずなのに。
一眼で人を判断して、人から判断される時代。
なんとも歪だ。
目の前の人の声よりも、ネット上に拡散されている真偽不明の情報の方が真実味を帯びてしまったならば、人は何を信じて生きていけば良いのだろうか。
個人情報を進んで開示する時代から、滅多なことでは開示しない時代へ。
これから先、リスクヘッジのために時代は逆行するのかもしれない。