ブログに書く内容は自由だ。
だから今回は数字の7について語りたいと思う。
私は何かにつけて数字の7を意識することが多い。
ラッキー7のイメージなのか、サッカーのクリスティアーノ・ロナウドのイメージなのか、はたまたスワローズの田中浩康のイメージなのかはわからない。
しかし、なぜか1桁の数字を自由に選んでも良いというシチュエーションになると、7を選んでしまうのだ。
そういう人は多いのかもしれない。
一桁の数字では、1に次いで7が人気のような気がする。
「なな」とも「しち」とも呼ぶことのできる当たりがなんともニヒルだ。
二文字の読み方を2種類完備している数字は7をおいて他にない。
7にまつわる言葉をあげる。
・7人の小人
・親の七光り
・七味唐辛子
・七夕
・七転び八起き
・七つの海
・七人の侍
意外と7にまつわる言葉は多い。
だからどうした、という話だ。
さて、書くことがなくなったな。
人にはこだわりがある。
それは幼少期の体験により形作られた自我に起因するものだろう。
それが人格形成の礎となり、自分と他者の違いを認識するための重しとなる。
人は自分が重要な存在であると思われたい。
だから他人の評価を機にするし、他人と比べて優れていると実感することで、自分の存在価値を肯定することができるのだ。
そうやって比べて、優れている側と劣っている側というレッテルを貼られる。
その繰り返しの中で、自分の立ち位置を確認したがるのが人という生き物なのだ。
だから、有名人のゴシップに飛びつき批判をすることで、より大きな社会とのつながりを持とうとするし、それをできている自分が少し大きな存在になったように錯覚することで安心するのだ。
さて、だいぶ話が逸れた。
ここで筆を置こう。
これでちょうどこの記事は777文字だ。