
『ふてほど』
かつて、これほどまでに聞いたことのない言葉が大賞に輝いたことがあっただろうか。
そう思って詳細記事を開いてみると、なるほど元ネタは見覚えのあるものだった。
ドラマ『不適切にもほどがある』
それを略して『ふてほど』とのことだ。
確かにこのドラマは面白かった。このブログの中でも取り上げた記憶がある。
しかし、誰がこのドラマを『ふてほど』と呼んでいたのだろうか。
少なくとも私の周りはおろか、ネット上でもこの四文字を目にした記憶がない。
もはや、賞の価値を下げるどころの話ではない。世間の感覚とのズレがありすぎて、話題になるためにわざとやっているのかと思うほどだ。
今回は、流行語の方ではなく、新語に特化した選定だったのだろうか。
下馬評では『50-50』や『裏金問題』あたりが最有力だと誰もが思っていただろう。
そこを掻い潜って『ふてほど』とは恐れ入った。
誰も聞いたことのない言葉、まさに新語である。
おそらく審査員という人たちがいるのだろうけれど、その人たちは辞退した方がいいのではないだろうか。
これを大賞に選んだ審査員だということが公表されるとなると、今後の仕事にマイナスしかない。
それとも本気で審査した結果、これを選んだのだろうか。それほど世間との感覚のズレがあるのだろうか。それとも何か見えない力が働いているのだろうか。
それほどまでに不可解な大賞である。
どこか今年を象徴しているようだ。
先の兵庫県知事選では、メディアの凋落が話題になった。
真偽は定かではないが、テレビは何かに忖度をして偏向報道を行なっているとSNSで拡散されて、結果としては兵庫県民以外の大方の予想が外れる形での決着となったのだ。
今回の大賞である『ふてほど』も、何かに忖度をした選考結果ではないかと疑惑は深まる。
真実がどこにあるのかわからない。
それでも一人一人が真実を見極めていかなければならない。
イメージだけで人気を集めることのできる時代だ。
どう見せるのか。どう見えるのか。
そんなことばかりが先行して実利がない。
いや、誰がやったところで何も変わらないという諦めが、半ば自暴自棄になった聴衆の受け皿となっているのだろうか。
風に流されていたい。
波に乗っていたい。
誰かと違うように振る舞うよりも、
浮いて目立つことを避けたい。
これからの時代を作る若者たちの意識が、政治やメディアのあり方に反映されてきているのかもしれない。
これからの時代を作るのは若者たちなのだ。
どんな時代になったとしても、責任転嫁はできない。
その覚悟だけは持ち続けなければならない。
今以上に社会は個人を守ってなどくれない時代に進んでいくのだから。