
「24時間働けますか?」
昭和を象徴するような言葉で時を超えて揶揄される、栄養ドリンクのCMで使われたワードだ。
今ではCMでこのようなワードを使ったら問題になる。
コンプライアンスばかりが重視されて、組織としての統率に綻びが生じる。
多様性を認めれば認めるほど、組織はそこに対してコストを支払わなければならないのだ。
しかし、そこに注力しなければ優秀な労働力を確保することもままならない。
今はそういう時代だ。
そうすると同じ組織に所属していても、努力する人としない人の間に大きな実力の差が生じる。
二極化というやつだ。
組織からの締め付けが緩くなれば、最低限だけで済ませて組織外の生活に時間を割く人もいれば、組織の中で評価されるために時間を割く人もいる。
必然的に高い評価は後者につけざるを得なくなる。
そしてまた、そこに不満が生じて管理する側は火消に労力を割かなければならなくなる。
「みんな違って、みんな良い」
金子みすゞさんの詩の中の言葉。
人権は守られて然るべきだから、それは確かなことだけれども、それを認めるために管理する側の人間の身にもなってほしい。
体制側(管理する側)にも人権があることを忘れていないだろうか。
今の世の中を見ていれば、給料が高くても管理職を望まない人が増えている状況は当たり前だと感じる。
どんどん管理職が罰ゲームに変わっていく。
少し前には、ティール組織というフラットな関係性で成果を出していく組織が提唱されていたけれども、それは構成員全員が同じくらい高い責任感で成果を目指す前提がないと成り立たない。
それは多様性を認めることと相反するから、前提からして成り立たないのだ。
これまで述べた私の考え自体が「オールドスタイル」ということなのだろうか。
私たちの世代くらいまでは、ギリギリ昭和の価値観についていけるが、それよりも1,2世代下になると価値観はガラリと変わる。
もちろん、若い世代にも自分で努力を続けて力をつけていく人はいる。
ただ、権利ばかりを主張して最低限すらも怪しい人が増えた。
この二極化の流れは組織を壊す原因にもなりかねない。
ライフスタイルも、ライフステージも多様化は進んでいく。
多様化、多様化、多様化。
もはや、それを管理することなどできない。
いっそのこと、管理自体をやめた方がいいのではないか。
おそらく、そういう方向に進んでいくのだろう。
自分で進んだ多様性に富んだ選択を誰かのせいにすることなどできない。
そういう人は組織から見捨てられていく。
「みんな違って、みんな良い」
それは「全て自己責任」ということなのだ。
それに気がついていない人があまりにも多い。