
一昨日は動くことができなかったが、昨日からはリモートで仕事に復帰した。
病気で休んでいるはずなのに育児をしなければならない。
一昨日はなんともカオスな状況だった。
妻も限界だから仕方がない。
動けない時は全てワンオペで家事も育児もこなしてくれた。
動けるようになったら私がフォローするしかないのだ。
私たちはまだ一人しか育てていないのに限界を迎えている。
どちらかが動けなくなったら、もう一方に大きな負担がかかるということを今回学んだ。
こんな綱渡りをこれから先を続けていかなければならない。
まだまだ先は長いのだ。
子供が二人いたらと考えると、全く身動きを取れなくなるのだろうと感じる。
以前、聴講した内閣府のお偉いさんの講演では、一人目の育児に父親がどれだけ貢献したかでその家庭の第二子以降の出生率が大きく変化するとのことだった。
つまり父親のフォローがない家庭は、第二子以降の出生率が大きく下がるということだ。
だからこそ企業は男性の育休を当たり前のように取ることができる環境を整備するべきだと、そんな内容だった。
特に実感のなかった当時は、ふーんと聞き流していたが、自分が当事者になってわかる。
確かに二人目を考えるとなると夫婦で相当な覚悟が必要となる。
裏を返せば、共働きが当たり前になることで、出生率が減ることにつながっているのは間違いない。
日本古来からの家事育児体制が定着した理由もあるはずなのだが、国は生産性を上げるためだと女性の社会活躍を躍起になって進める。
その結果、共働きじゃないとまともに生活することのできない社会が出来上がったのだ。
何が描きたかったのかわからなくなってきたな。
ともかく育児は過酷だ。
体調が悪かろうが、忙しかろうが子供には関係ない。
痛烈な要求は、それが叶うまで続いていく。
それが子供の特権なのだ。
仕方のないことなのだろう。