
面白い動画を見た。
動画によると、もしも悪人が1人もいなくなった国を実現できたとしても、その国は必ず滅びに向かうことは歴史が証明してきたのだという。
理由は様々あるようだが、代表的なものは次のとおりだ。
①悪人が率いる別のコミュニティに蹂躙される
②共通の敵を見失い、内側に敵を作るようになる
その結果として滅びに向かっていくのだ。
どんなに排除したとしても「サイコパス」と呼ばれる悪人の気質を持った人間は1〜4%存在するというデータがあるらしい。
サイコパスが全員悪人というわけではないが、その気質が悪い方向に振り切ると、その人物が滅びをもたらす中心人物となる。
善人しか存在しない、すなわち報復のない世界では排除してもどこからか湧いてくる悪人に蹂躙される運命なのだ。
「清潔な家庭」で育った人ほど花粉症が多い。
そんな統計結果があるという。
外敵を失った免疫機能は自らの体を攻撃するようになる。そういうカラクリのようだ。
コミュニティも同じだと言う。
悪人がいなくなったら、善人を悪人に仕立て上げて攻撃する。
人を攻撃すること自体に脳の報酬系が働き快楽を得るようにできている。
確かに思い当たる節はある。
「正義を振り翳すこと自体が気持ちいい」
そういうふうに人は作られているのかもしれない。
「世界平和」なんてものは、未来永劫訪れることはないのかな?
どんなに世界が良くなったとしても、その世界は悪人にとって「絶好の狩場」となる。
なんとも皮肉なものだ。
そうなると、平和を望んで人間性を高めること自体に価値はないのかな?
私はそうは思わない。
もしも世界が変わらなかったとしても,自分の心を変えることはできるはずだ。
悪人に蹂躙されないための強かさは持ちつつも、自分は決して人から搾取することをしない。
自らの欲望と向き合って、人の痛みと照らし合わせた上で自らの行動を決めていく。
そんな「自分に誇れる生き方」を目指さなければ、結局は虚しい人生を送ることになるのだ。
誰も見ていなかったとしても、自分は自分の行いを全て見ているのだ。
どんなに悪行を正当化しようとしても、心の中のシコリは残る。
気がつかないふりをして、痛みを抱えながら生きていることになるのだ。
私はそんな生き方をしたくはない。
だから、ある意味では「自分のために」人間性を磨く努力をしていく。
「他人のため」と思って行動することは全て「自分のため」の行動なのかもしれない。
それでもその生き方に価値がある。
私はそう考える。