生きてるだけで丸儲け

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心が弱っていると、

何かにつけて深刻に捉えがち、


ストレッサーを乗り越える自信がないから、

大した脅威でないことも脅威に感じてしまう。


それでは悪循環、

考え方を変えなくてはならない。


「生きてるだけで丸儲け」

明石家さんまさんの座右の銘


恋が終わったところで、

誰かが去っていったところで、

何が変わるわけでもない。

元の一人に戻っただけ、


関わりたくない人と関わらなければならないと言っても、

一日で数分から長くても1時間程度の話、


それ以外の時間まで引き摺られて、

嫌いな奴のことなど考える必要はない。


「私の人生には関係のない人」


不幸になることを監視したり、

妬んだり嫉んだり、


そんなことをしている暇があれば、

自分を気持ちよくさせてあげること、

自分を幸せにしてあげること、


それに時間を費やしていれば、

自然と悩んでいることはどうでもよくなる。


どうでも良くなれば、

好きでも嫌いでもなくなる。

下手に意識する必要などなくなるのだ。


私は私の幸せのために生きている。


誰が幸せになろうが、

不幸になろうが関係ない。


自分が幸せに過ごすために、

その幸せを分かち合うために、

誰かと幸せを分かち合うために、

誰かの幸せに寄与する。


利害関係だけではないけれど、

自分を犠牲にした先の幸せは素直に祝えない。


自分の幸せが先、

順番を間違えてはいけない。


BUMP OF CHICKEN『fire sign


「誰かのために生きるという

思いを込めた旗を抱き

拾ってきた笑顔の中に

自分の笑顔だけ見当たらない。」


初恋の子が好きだった曲、


少しだけ、

前向きに生きられそう。


もっとわがままに、

自分のために生きればいい。


どうしてもやらなければいけないことなんて、

そんなに多くはないはずだから、


いざとなればどこでだって、

生活の糧を得ることはできる。


それだけの努力はしてきたし、

それだけの人と心を通わせてきた。


何も深刻に考える必要なんてない。


「あらゆる事を深刻に考えすぎない事」


今するべき事、

正しくなくたっていい。

楽しくなければ生きてはいけない。

 

縁談の話③~完結~

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そういえば最後まで記事にしていませんでした。

縁談の話、


2度目に二人でお会いしたあと、

その日のお礼と次の日取りを決めようと連絡、


返信は1週間ほど空きました。


しかもそっけなく、

「機会があればいけるといいですね」

この時点で完全に脈なしです。


念の為、

日にちを提案してみるも、

「予定があるから」とお断り、


紹介という性質上、

このまま終わらせるのは良くないと思い、

紹介してくれた方に状況を説明し、

なかったことにしてもらいました。


彼女の選択は、

「うやむやにしてフェードアウト」

紹介者にも連絡はしていなかったそうです。


大人なのだからね。

もっとやり方があると思うのですが、

紹介してくれた方にも失礼でしょ。


同じタイミングで、

あまりにも大きな職場でのことがあったので、

こちらはさほどショックはありませんでした。


もう会うことはない人ですし、


応援してくださった方、

ご期待に添えずにすみませんでした。


次に動いています。

今は2人の方と2人でのご飯の約束があります。

 

後ろ髪を引かれていた恋は終わりました。

呪縛から解き放たれました。

もう女性と会っても後ろめたい気持ちはありません。


なりふり構わず婚活開始、

少し打たれ強くなりました。

 

雨が嫌い

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私は雨が嫌いだ。


電車は混むし、

服は濡れる。

傘を差すのも億劫だ。


先日、

東京で久々に雨が降った。


憂鬱な気分で、

家を出るけれど、

歩いていて、

ふと心地よさを感じる。


「まるで自分の代わりに空が泣いてくれているみたい」


なんだかそんな気がした。


泣きたくても涙が出ない。

素直に泣けるお年頃ではないのだ。


可愛い女の子でもない。

男がメソメソしていたところで、

誰も相手になどしてくれないのだ。


素直な感情表現は、

下手になる一方だから、

一人になったところでそれは変わらない。


まるで、

自分のために流す涙など、

枯れ果ててしまったようだ。


だから、

「代わりに雨が泣いてくれているみたい」


そう思ったときに、

すっと心が軽くなった。


「雨降られ空にフラれ

びしょ濡れて歩いて行こう

新しい恋に向かって

明日は晴れるよ」


これからは少しだけ、

雨のことが好きになれそう。


なんだか子供に戻ったみたい。


次の雨が待ち遠しい。

 

パニック障害

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※有病者は閲覧注意


私が今の私になったことを語る上では、

どうしても外せない話、


私は軽度のパニック障害を患いました。

発病して今日が丸3年、

少し前から準備していて、

今日投稿しようと考えていました。

 

 

突然のことだった。

出勤の準備をしていると、

満員電車が怖くて怖くてたまらなくなった。


過呼吸になり、

とりあえず会社に午前休暇の連絡をして、

ベッドに横になる。


明らかにヤバイことはわかった。

これはメンタルの方だ。

そう直感的に感じた。

なんでこんなことになるのか。

「ふざけるな」と思ったことを覚えている。


最初の感情は、

恐怖でも不安でもなく「憤り」だった。


「こんなところで終わってたまるか」

こんな状況でも最初はそれ、


それだけでもどれほど自分を痛めつけ続けていたかがわかる。


当時は仕事でもプライベートでも、

大きな転機があり過剰に負荷がかかっていた。

そして、大した力もないくせに、

その全てに真正面からぶつかっていた。


その日だって、

気持ちを落ち着かせて、

無理をして午後は仕事に出た。


一日中そわそわしていたが、

会社に着くと普通に仕事をこなした。


「大丈夫だ。少し疲れていただけ」

そのように自分に言い聞かせて一日を終える。


ところがその次の日の夜、

急に発作のようなものに襲われる。


後頭部が熱くて感覚が鋭敏になりとても眠れない。

窓の外の薄明かりすら眩しい。


夜中なのに交感神経がマックスな状態、

そこからしばらくは1日中そんな状態が続く。


周りから見ればなんともないように見えたらしいけれど、

過剰に敏感な感覚とまともに眠れない日々、


あまりにも寝られなくて、

じっとしていられないから、

早朝からランニングしたり、

怖くてニュースすら見られない。


ちょうどあの頃に、

施設の障害者が何人も殺められた事件があった。


「社会的に価値がないから」

犯行動機、


「こんな状態が続くならば自分も障害者かな」

もちろん障害があるから価値がないということではないけれど、

当時はなんだか自分に価値がないようで怖かった。


だけれども、そんな状態でも、

毎日、這うような思いで会社にたどり着く。

そうしないと、

全てが終わってしまうような気がしたから、


大きな発作があった。


夜中に急に目が覚めると自分が誰だかわからない。

徐々に感覚を取り戻してこっちに戻ってきたけれど、

死に近いような感覚だったのかもしれない。

なんだか泣けてきて「人生終わったな」と思った。


少しばかり寝ることができて、

朝起きると「今日も一日が始まってしまった」と思う。

一日を積み重ねることに必死だった。

夜になるのが怖かった。

毎日職場で「休職」について調べていた。


理不尽に生活を奪われる。

できていたことができなくなる。

人より努力をしてきたし能力もあった。

(そう過信していた)

なんでこんな事になったのか。

そういう気持ちを捨てられなかった。


そこから生活を整えて、

同じ病気だった人に話を聞いたり、

睡眠の本を読んで実践したり、

できることは何でもしようととにかく動いた。

体力が持たなくて外で倒れ込んだりもした。


気持ちに左右されずに、

やるべきことはやり続けて、

1日も休まずに仕事を続けて、

運動をはじめて、

鍼灸にかかって、

親にも周りにも頼れるだけ頼って、

できないことはできない、

やりたくないことはやりたくないって言うようになって、

4ヶ月位は本当に辛かったけれど、

投薬治療を受けることなく乗り越えた。


かかった医者が、

「あなたの症状なら薬は飲んでも飲まなくても良い」

と言ってくれたことが大きかった。

それならば飲まないで治そうと思えた。


とにかく無難に行動範囲を狭めて生きていた。

そこから1年ほどして旅行に挑戦した。

そのときに車を運転して「生活を取り戻した」と感じた。


症状は軽かったのかもしれない。

はたまた軽くできたのかもしれない。

それはわからないけれど、

自分の病気は誰のものとも違う「自分病」で、

自分が向き合って治すしかないと実感した。


3年経つけれど、

いまでも少し調子を崩す時期はある。


今回の失恋では、

少し発作のようなものもあった。


元には戻れないけれど、

病気になる前よりも良くなることはできる。


もともと上ばかりを見ていた。

できないってことは努力が足りないと思っていた。

だけれどもそれでは心と体が持たなかった。

「やり方が違った」のだ。


前よりも、

・表情や仕草から感情を読み取れるようになった。

・人の心に寄り添えるようになった。

・自分の感情に正直に生きられるようになった。

・自分の評価や立場よりも物事の本質を捉えることに努めるようになった。

・いつも冷静で落ち着いていると言われるようになった。

・一日を大事にして生きるようになった。


人の気持ちがわかりすぎて辛いこともあるけれど、

それって長所なんだと思えている。


「元に戻りたい」じゃ治らない。

一生付き合う覚悟が必要、

病気も含めて自分、


恋愛はうまくいかないし、

傷つくことばかりだし、

メンタルじゃない大病にもかかったし、

いつ再発するかもわからないけれど、

なかったことになどしたくないし、

それを糧にして生きている。


こういうのって、

人それぞれだからいい加減なことは言えないけれど、

私の場合はそうして乗り越えた。


確かに乗り越えたと胸を張って言える。

この経験が誰かの希望になればいい。


苦しいことに変わりはないけれど、

人生が変わった3年、


3年経って本当にそう思う。

心を動かすために生きる

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世の中の理、


そのことについて深く考えすぎてしまうと、

「世界は所詮こんなものか」

そう高をくくるようになってしまう。


世界をわかったような気になって、

何に対してもあまり興味がわかなくなる。


「動じない」

「落ち着いている」

「考え方がブレない」


一般的にはそれを「達観」というのかもしれない。


だけれども、

そこにかぶれてしまうと、

大きく心を動かすことが極端に少なくなる。


だから、

苦しみ半分、悲しみ半分にできても、

楽しみ半分、喜び半分になってしまう。


「心を動かしながら達観すること」


悩み、苦しみ、もがきながらも、

その先にある達成感に心を震わせて、

誰かとともに喜びや涙を分かち合って、


心を動かし続ける中で、

世の中の理を模索していくこと、


それが世界との正しい関わり方なのかもしれない。


心を動かすことを止めてしまったら、

「ただ生きているだけ」

そうなりかねない。


傷つくことを恐れるほどに、

「達観」したつもりになって、

行動力は衰える。


結果の予想が概ねついてしまうから、


そうやって、

徐々に心を動かすことを止めてきた。


感謝の伝え方はうまくなるけれども、

心は昔ほど感謝の方に向いていない。


笑い方は共感を生むための道具になり、

大げさになる一方、


そして泣くことは下手になり、

心に膿はたまる一方、


何を手に入れるために、

「心を動かすこと」をやめてしまったのだろう。


社会で生きる術か、

傷つかないための防波堤か、


それがあれば、

確かに「生きやすい」

そう思うかもしれないけれど、

生きるために生きていても仕方がないのかもしれない。


「心を動かすために生きる」


人の悪意や狡猾さに傷ついて、

日だまりの温かさに安らぎを感じて、

海の広大さに心を踊らせて、


傷ついて思い切り悲しんで、

泣くような経験をいくつ積み重ねてきたか。


そこに人生の価値はあるのかもしれない。


だから、

心を動かすことを恐れない。


何かを決めつけて、

何も行動を起こさないような大人、


そこから抜け出すことは簡単ではないけれど、

手足を動かす中で、

心は温まってくるはず、


心が温まるまで、

あと少し、

元カノ

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学生時代の話、

唯一お付き合いをした彼女は3つ上、

1年浪人をしていたので学年は2つ上、


人生で一番相性の良かった同年代の女性かもしれない。


友達の期間が長かった。

お互い環境が変わってうまく行かなかったけれど、

あんなに自然と一緒に居られた女性はいなかった。


お互い学生のうちは、

常にメールをしていた。

話題が途切れずに、

他愛もないことで、

寝ても覚めてもずっと、


彼女に対してドキッとした瞬間がある。


二人でカラオケオールの帰り、

おかしなテンションだから、

私がよくわからないギャグを言った。


それに対して彼女もおかしなテンションだから、

全力でノリツッコミ、

そのやりとりがあまりにも自然で心地よく、

とても「いいな」と思った。


恋愛感情のようなものはあまり芽生えなかった。

(もちろん全くではないけれど)

最後まで友達感覚だった。


まだ若かったから、

そこに違和感があってか、

彼氏彼女にはなりきれなかった。


だけれども、

その先の「夫婦」って関係って、

きっとそういうもの、


あの頃は気が付かなかったのだろう。


これから先にも、

まだまだたくさんの出会いがあって、

忘れてしまう過去になる。

そう思っていたのかもしれない。


だけれども、

今になって思い出す。

「後悔」という彩りを添えて、


どうやら色あせてはくれないようだ。


恋愛って辛いもの、

それが過去のものだとしても、

いつまでも大事に「名前をつけて保存」

 

辛いからっていろんなものを引っ張り出して、

あの時ああしていたらなんて、
こじれてしまうな。


FaceBookではつながっているから、

地元に帰って結婚して、

子供が二人いることは知っている。


「年上の方が合っているよ」


最近よく言われる。

紹介できる層がそこだからということもあるけれど、


年上の方が、

私には合うのかな。


静かに高まる年上熱、

 

見えるものが変わってくる

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苦しむたびに、

つらい思いをするたびに、

世界が少しずつ形を変えていく。


所詮は自分から見える世界がすべて、


楽しい思い、

嬉しい思いをしたところで、

見える世界はあまり変わらない。


それはそれまで生きてきた世界を、

より鮮明に肯定する作業だから、


無邪気に泣き、

無邪気に笑う赤ん坊、

人はもともと世界は素晴らしいものだと信じて生まれてくる。


だけれども、

どこかのタイミングで、


「生きづらい」


そう思うときは必ず来る。


そう思うから、

自分から見える世界を変えて、

「自分の世界」を変容させて、

生きやすくしようと躍起になる。


大抵は、

その過程で「信じる」ことを恐れるようになる。


自分を守るために、

無条件で信じることを止めてしまって、

人を疑うことを覚える。


そうやって、

世界の見え方を変えていくのだ。


その経験が乏しいと、

洗礼を受けることになるのかもしれない。


あるときに、

思いもよらぬ人の悪意にさらされて、

再起不能に追い込まれる。


人を信じて生きていたから、

食い物にされて、

捨てられて、


その振れ幅が大きいほどに、

世界との距離感を掴むまでに時間がかかる。


一度狂ってしまった距離感を、

もう一度測り直すために、

過去をさかのぼって、

知らない世界に足を突っ込んで、

そうやって適切な距離感を模索する。


時間をかけて、

ゆっくりと、


その先にあるものが、

鬼か蛇か、仏か神か、

それはわからない。


だけれども、

そこで測り直した距離をもとに、

もう一度「生きていく」ことになる。


もしかしたらそれも間違えているのかもしれない。


間違えるたびに、

傷ついて、苦しんで、

もう一度、距離を測り直す。

 

正解なんてわからない。
人生はその繰り返し、


最後に笑って過ごすために、

後悔をしないように、

何度だって傷ついて、苦しんで、測り直して、


その先にあるものを信じて、


「終わりなき旅」


人生ってそういうものなのかな。