「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』

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非常に危険な本だ。

なぜなら、人が人であり続けるためのハードルが非常に高いことを、史実やデータに基づく事実から痛いほど突きつけてくる内容だからだ。

 

「人間至上主義」

 

思えば私たちは、長いことその思想に浴していたのだろう。

人の経験や感情。つまり「心」というものの価値は何ものにも変え難いものだと信じてやまない。

ある意味で、20世紀はキリスト教イスラム教よりも多くの信者を獲得した宗教が「人間至上主義」というものだった。

 

「人の心の持つ価値」

それを疑ってしまったら、私たちの人生は意味のないものになってしまう。

しかし、もしかしたらそういう時代は、すぐそこまで迫っているのかもしれない。

 

「人の心」をアルゴリズムによって再現可能であることを証明してしまったならば、そこから先の人類は「アルゴリズム」を信仰することになるのだ。

かつて「神」を捨てて「人間至上主義」に傾倒したように、社会は「便利な方向」へと進んでいく。

 

「神」とは違い、確かに存在を実感することのできる「絶対的な他者」

さらに世界中どこからでも簡単にアクセスすることができる。

 

今はまだネタに過ぎないが、人類が何をするにも『ChatGPT』のような存在にお伺いを立てるような時代。

それが近づいているのかもしれない。

 

起きてから寝るまでの行動、メールやLINEで送った内容、心拍数などの健康情報、自分の人生全てを情報として提供し、あらゆる判断をアルゴリズムに委ねてその通りに生きることが一番な最適解となる。

果たして、そういう時代がくるのだろうか。

 

もはや、何のために生きるのかわからない。

自分の生体情報もまたデータベースに組み込まれて全体最適化に寄与する。

究極の管理社会だ。人類の寿命もクオリティオブライフも表面的には飛躍的に伸びるだろう。

 

ジョージ・オーウェル1984年』や、伊藤計劃『ハーモニー』のようなディストピア

もはや絵空事ではないのかもしれない。

 

私はブログの中で、事あるごとに「命の使い道に目を向けるべきだ」と述べてきた。

「命が大切であること」は、かつてないほどに人類に浸透している。

しかし、その命をどのように使うのか、そのことを真剣に考える機会は足りないと感じる。

 

「ただ長生きすれば良いのか」

「人といた幸せに生きるとは、どういう事なのか」

これまで人類が考える必要のなかったようなテーゼが、これから先は筍のように其処彼処に生み出されるのだろう。

 

そして、多様性の尊重される時代だ。

選択の責任は全て個人に委ねられる。

私たちがこれから生きていく時代は、とんでも無く過酷な時代なのかもしれない。

 

「人が人であるために必要なこと」

 

それを常に突きつけられながら、試行錯誤して正解の見えない大海原を荒波に揉まれながら生き続ける。

その過酷な環境の中で、自ら材料を見つけて船を作り、コンパスを作り、目的地を決めて、どこかに辿り着くことを目指す。

 

私たちが生きるということは、古来からそういうことなのだろう。

それを、より明確に突きつけられる。

心を抉られるほど力強く突きつけられる。

 

その痛みに耐えながら生きるのか。

その痛みから逃げて生きるのか。

その選択もまた、私たち一人一人に委ねられるのだ。

食い倒れ

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これでもか、というくらいに食い倒れている。

妻は呆れ顔で私のことを見る。

しまいには「よく食べるね」と口に出す。

 

旅をしている。

 

ホテルの朝食はバイキングだ。

加えて昨夜はお腹がはち切れるくらいに食べた。

それでも朝食のバイキングで嫌になるくらいに食べ物を持ってきて、それを平らげる私のことを、妻が呆れるのは無理もない。

 

貧乏性だからか、私はバイキングとなると、これでもか、というくらいに食べる。

一通り気になるものは全てさらに乗せて、さらに美味しかったと思うものはおかわりをする。

デザートもしっかりと食べる。

 

デザートから本腰を入れる妻よりも多くのデザートを持ってきた私を見て、妻は「呆れる」を通り越して、引いていた。

 

欲望に正直に。欲望に忠実に。

私のバイキングに対する姿勢は、

至って人間の本願的な態度に沿ったものなのだろう。

 

人は古来より、狩に出かけて獲物を持ち帰ることに快感を感じていた。

木の実の獲物を仕留めた時の快感は、私たちのDNAに刻まれているのだろう。

だから、私のバイキングに対する態度は正しいのだ。

 

旅とは、自らの心を解放することを目的に行うものだ。

そうやって自己正当化して、お腹を痛くしながら日中を過ごす私の姿は、逆に何かに縛られているのかもしれない。

 

「バカなこと」をしても、優しく私のことを支えてくれる妻に感謝をしながら、私は今日も食い倒れるのだ。

妻がいるから、私は安心してバカなことができる。

 

結婚して良かったと、つくづく思う。

夜景

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光の一つ一つに生活がある。

それが集まって豊かな色彩を奏でる。

 

私たちは一つの集合体なのだ。

「社会」という大きな組織に属した、

一つの集合体なのだ。

 

外から見ると、これだけ美しく見えるのに、

中に入って生活をしてみると、厳しい現実を抱えながら生きている人がいる。

 

私たちは、豊かな生活を作り出すために、

「社会」という大きな組織を作り上げた。

「豊かさ」と引き換えに「自由」を差し出して、

ルールに従うことで「安全」を享受しているのだ。

 

だから、そのルールから少しでもはみ出すと、

その組織では生きていけなくなる。

秩序を乱すことは、自分たちの安全を脅かすことにつながると、必要以上に異端を恐れて排除しようとする。

 

それが「窮屈さ」を生み出す。

「自由」を奪っていく。

 

もちろん「安全」を脅かすようなルール違反は、取り締まって然るべきだ。

しかし、「ルール違反」につながる前の前の前の「ルール違反」のような、先々のリスクに対してまで、必要以上に過敏になってはいないだろうか。

 

それが結果として「個性」を殺すことになり、

マイノリティの意見は取り入れられることなく、

巨大な組織は向かうべきところに向かうべくして収まっていく。

 

それにも限界が近づいているのではないだろうか。

これだけインフラが整ったのだから、常識にとらわれている中では、これ以上の発展は望めない。

 

違った個性から生み出されるものが、組織に大きな利益をもたらすことに注目されている中で、埋没した個性から光るものを見出す体制が求められている。

 

遠くから見たら、これだけ色とりどりの個性を持った集団であるはずなのに、みんながみんな同じことを強いられて生きている。

 

今の社会は、そうなってはいないだろうか。

素晴らしい「夜景」を前にして、ふと、そんなことを考えた。

【プロ野球2023】オリックスバファローズ優勝!

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今年は圧倒的でしたね!

オリックスファンの皆様!ハマさん(id:hamasansu)!おめでとうございます!

 

山本由伸の3年連続シーズンMVPと沢村賞は決定的です。

戦後史上初となる2年連続でのノーヒットノーラン達成に加えて、最多勝最優秀防御率のタイトルは確定。

勝率と奪三振も1位を争っており、3年連続の投手4冠を視野に入れています。

 

そしてチームとしては、宮城に加えて、山下シュンペーターと、先発の柱がもう一本しっかりと立ちました。

リリーフ陣も安定しており、付け入る隙がありませんでしたね。

 

メジャーに挑戦した吉田正尚の抜けた穴を、FAで加入した森友哉が埋めてダメージを軽減。

他球団は波がある中で、着々と勝ち星を積み重ねており、攻守のバランスが取れていました。

 

パ・リーグの3連覇は29年ぶりとのことです。

これだけ盤石だと、ここから先もしばらくはオリックスの時代なのではないかと思ってしまうほどです。

あとは山本由伸がいつまで日本にいるのか。

彼がいるうちは盤石でしょう。

 

オリックスは、とにかくドラフトが上手い印象です。

特に投手は、筍のように次から次へと出てきます。

スカウトが良いのか、コーチが良いのかわかりませんが、着々と高卒ルーキーを育て上げて、盤石な投手王国を作り上げました。

 

このままCSを駆け抜けて、セ・リーグ阪神とペナント1位同士の日本シリーズを期待します!

両チームとも投手がすごいですからね。

面白い日本シリーズとなりそうです。

 

3連覇のオリックスと、2連覇を経て最下位争いに沈むスワローズ。

明暗くっきりわかれました。

やはり、野球は投手で決まるということでしょうか。

 

来年はスワローズも上位に返り咲いて欲しいです。

今年は怪我が多かった。

神宮のパークファクターが異常で、投壊する試合が多かった。

打ち勝つ野球が出来なかった。

とにかく接戦に弱かった。

また仕切り直しですね。

 

とにかくオリックスファンの皆様おめでとうございます!

来年は、また日本シリーズで会いましょう!

「エポスカード」から「モバイルSuica」が撤退

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これを書くと、私の住んでいる地域や使用しているクレジットカードがバレてしまうが、この憤りは記事にしないと気が済まない。

 

先日のPayPay「ソフトバンクまとめて支払い」に手数料がかかるようになると同時に、9月からエポスカードの「選べるポイントアップショップ」から「モバイルSuica」が撤退していることに気がついた。

 

iPhoneを購入するから、選べるポイントアップショップを「Appleストア」に変更しようとしたところ、登録していたはずの「モバイルSuica」が消えている。

 

少しスクロールすると、お知らせがある。

どうやら「モバイルSuica」は9月から登録できなくなったらしい。

これまた酷い改悪だ。

 

私はこれまでSuicaのチャージをすると、エポスカードで決済されるようにしていたので、選べるポイントアップショップ特典により、無条件で1.5%のポイント還元されていた。

しかし、今回の改悪により、それが通常と同じ0.5%に下がる。

 

単純に、月2万円ほどSuicaで決済をしていたら、毎月1%のポイントが減となるため、月に200円、年に換算すると2400円の損失となる。

 

大した金額ではないかもしれないが、これまでは何もしなくても得ていたポイントの消失だ。

うまいことやりくりしながら、ポイ活をしていた努力が水の泡だ。

PayPayの件と同時のダブルパンチである。

 

どんどん世知辛くなっていく。

物価高騰に増税だけでは飽き足らず、ささやかなポイ活まで搾られるようになるのか。

そうなると、コツコツと細かいことを考えるよりも、自分の楽しみのために時間を使った方が有意義な気がする。

 

馬鹿な国民に成り下がって、国の思惑通りに何も考えないで、のほほんと、その日暮らしを続けていた方が幸せなのかもしれない。

 

もう疲れてしまった。

余計なことをするのはやめよう。

と思いながらも、Suicaチャージで1.5%ポイント還元される「ビュースイカカード」への切り替えを検討する私は逞しいのかもしれない。

 

めんどくさい改悪はやめてほしい。

「景気が悪いのだな」と、そう感じる昨今だ。

「理不尽な外圧」に対する態度

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私はどちらかと言えば、「理不尽な外圧」に対して反発するタイプの人間だ。

筋の通っていないことをやらされることに、耐え難いストレスを感じるタイプの人間だ。

 

今の職場は「理不尽な外圧」で溢れている。

会社としての体質なのだろう。巨大なコングロマリットの一員として、規則に縛られながら、それを遵守することを強いられる。

業務の効率性なんて二の次で、とにかく規則に沿った仕事のやり方を求められる。

 

馬鹿正直にそれを真に受けていたら、いくら時間があっても足りないから、私の担当業務の前任者は、うまいことやっていたようだ。

しかし、その「うまいこと」の内容は非公式なため当然引き継がれない。

私が試行錯誤しながら、私のやり方で「うまいこと」やっていかなければならないのだ。

 

一つ地雷を踏んだ。

そのことで片足を吹き飛ばされるくらい、不自由に私の担当する業務の負荷は上がった。

当然、私が望んでそれをするはずはない。

「理不尽な外圧」によるものだ。

 

しかし、どんなに理不尽でも、私がこの職場で働く限り、それを受け入れなければならないようだ。

ほぼリスクゼロのところに人件費をかける馬鹿な経営者はいない。

しかし、組織の判断となると、誰も責任を取りたくないがゆえに、人は馬鹿な決断をすることもある。

 

まさにそうした事例だった。

脇の甘かった私に責任がないとは言わないけれども、あまりにも理不尽な仕打ちを、私は受け入れる他に選択肢がない。

 

もちろん大きなストレスだ。

しかし、それを受け入れた上で、私の担当する業務を効率化するために、私は動かなければならない。

 

「理不尽な外圧」

 

それに対して文句を言って済めば簡単だ。

しかし、それで解決することなど、社会には存在しない。

どんなに理不尽なことを強いられたとしても、それが組織の規則に則ったものであると、組織が判断をするのであれば、その組織に所属する限りは、その規則に従わなければならないのだ。

 

私は、私の態度を改めなければならない。

「理不尽な外圧」に対しても、主体的に取り組むだけの強さを身につけなければならないのだ。

 

転職をしてからは、組織で生きるということのめんどくささを嫌というほど感じている。

それが私にとっての大きなストレスだ。

 

そのまま受け止めていては体が持たない。

考え方を改めなければならないのだろう。

 

どのような逆境に晒されたとしても、そこから何とか最善の手を見出すだけの粘り強さ。

そういうものが私には必要なのだ。

 

バカになりたい。

底抜けに希望を信じることのできるくらいに、

バカになりたい。

 

「必ずうまくいく」

どこまでもそれを信じて前進できる人を尊敬する。

成功するまでやめなければ、それは成功に繋がるはずだ。

世の中の成功者と呼ばれる人のほとんどは、成功するまで諦めなかった人なのかもしれない。

 

そう言った意味で、私には「希望」を信じて突き進む力が足りていないのだろう。

そこが今の私にとって、一番の課題なのかもしれない。

「自分の軸」で成長を実感する

 

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求められる能力が多岐に渡ると、自分の成長を実感することは難しくなる。

そうすると人は、惰性で生きるようになる。

 

確かに積み上がるものはあるはずなのに、それを実感することなく、ただただ惰性で生きるようになる。

 

ここ最近の自分を振り返ると、どうやら私はこのスパイラルに巻き込まれていたようだ。

だから、タスクを淡々とこなして、ただ耐えることを目的に働いていた。

 

「主体性を失ってはならない」

 

私は私の人生を生きているのだ。

どんなに理不尽な目にあったとしても、それも私の選択した先にあるもの。

それならば、私は私の人生に責任を持たなければならない。

 

周りに流されていた。

自分では、さほど「大変だ」と、自分が○理不尽な目に合っている」と思っていなかったが、周りから「大丈夫か?」とか「パワハラじゃないか?」と声をかけられるたびに、私はどんどん逃げ道に近づいていた。

 

自分自身を「可哀想な奴」に仕立て上げることで、それを拠り所にしながら、理不尽に耐えるための燃料としていたのだ。

 

過去には、もっと大変な目に合ったことはある。

今の私の状況は、それに比べると大したことはない。

私の無意識は辛さから逃げるために、自ら「EXIT」マークに向かってフェードアウトしようと引き寄せられていたのかもしれない。

 

一度そっちに引き寄せられると、気がつかないうちに、どんどんその引力に引き寄せられていくのだ。

そして、どんどん主体性を失っていく。

 

私の成長の軸は、あくまでも人間性に主眼を置いている。

 

「目の前の1人に誠実であり続けること」

「できる限り人を道具としてみないこと」

「人類の未来に希望を持ち続けること」

 

過去にブログの中で、それを掲げたことを思い出す。

今も私の目指すものは変わらないはずだ。

 

組織に求められるがままに、自らを変容させていては、誰の人生を生きているのかわからなくなる。

それを強いられるならば、いっそそこから抜け出した方がよい。

 

私は私の人生を生きる。

今一度、それを深く命に刻むべきなのかもしれない。