「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

Mrs.GREEN APPLE『ダーリン』

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今年のミセス1回目の記事だ。

昨年同様、今年も私はミセスの記事をたくさん書くのだろうか。それはまだわからない。

 

噛めば噛むほど味が出てくる。

ミセスの真骨頂だ。

タイトルの「ダーリン」。これは「最愛の人」を意味する言葉。

この曲ではそれを「自分自身」として歌っている。

自分のことを愛してほしい。自分の可能性を否定しないでほしい。

18祭で若者に向けて発信したそんなメッセージをありありと感じる。

 

人と同じでいたい。

人と違うことに不安を感じる。

だけれども、人と同じでいて個性が発揮できないことにもヤキモキする。

若者たちは「自分の立場」ばかりを気にしなければ生きていけないのだ。

 

情報が溢れているからこそ、それをうまく活用できないことは自己責任。

情弱は搾取される。

どう考えても騙す方が悪いのに、騙された方を蔑むような言葉がオンライン上で踊る。

 

それにフィルターなく晒されて、子供の時から大人でいなければならないアダルトチルドレン

今の若者世代、そのほとんどがアダルトチルドレンなのではないだろうか。

 

愛情に飢えている。

だからこそ、自分だけは自分を愛してあげてほしい。

そんな、痛切なメッセージを感じる曲だ。

ミセスは深い。

 

Mrs.GREEN APPLE『ダーリン』

「帰属意識」の高まらない社会

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今の若者たちは、自分が所属する組織に対する帰属意識が乏しいと感じる。

雇用の流動性がそうさせているのか。それともインターネット上に溢れかえる情報がそうさせているのか。

私は常々、今の時代のことを「パーソナリティの肥大化した時代」と称している。

 

個人主義は加速して、周りから浮くことなく個性を発揮することが至上命題となる。

そんな混迷の時代なのだ。

 

一昔前ならば、会社から言われたことだけを淡々とこなしていれば良かった。

社会の部品として生産を上げるための道具となっていれば、それだけで高い所得や終身雇用は約束されていたのだ。

 

今の時代は違う。

大手企業も先行きがどうなるかわからないし、転職したり、独立した方が所得の上がる可能性が高くなった。成功者の生活はインターネット上に垂れ流されており、それと今の自分を比較しては「このままでよいのか」という気持ちに苛まれる。

 

Instagramや旧TwitterなどのSNSツールを劣等感養成装置だ。

上を見ればキリがない。それでも否応なしに上は自分立ちの幸せを見せつけてくる。

正確に言えば「幸せに見える瞬間」を見せつけてくる、だろうか。

 

そうやって生み出された劣等感の捌け口を、今の自分が所属する環境の外に見出そうとする。

みんな常に不安に苛まれているのだ。

だから帰属意識が高まらないのだ。

 

不安で不安で仕方がない。

「自分は勝ち組と言えるのだろうか」

「平均より上に属しているのだろうか」

「周りから浮いてはいないだろうか」

そんなことばかりを考えて生きているのだ。

 

「自分の生き方に誇りを持つ」

それがとても難しい時代だ。

自分なりに努力を重ねていても、それが他人と比較して高い成果を上げているのかわからない。

他人と比べながら生きることを余儀なくされて、常に劣等感の嵐に晒されながら一歩一歩、歯を食いしばって前に進んでいる。

 

私に言わせれば、その姿そのものが尊いのだ。

努力を続けることは才能だ。

一発を当てて億万長者になるよりも、地道な努力を重ねた末に自分の目指す人間性を獲得する方が、よほど価値のある人生だと私は考える。

そうやって少しずつ自分の心を満たしてあげるしかないのだ。

 

そのためには、周りの人たちと協力して、協調して、確かな信頼を築いていくことが大切だ。

それを蔑ろにした先にあるものは虚しい。

結局、今いる環境で精一杯、信頼を集めていくこと。

それが望む未来につながっているのだ。

時が経って、別の環境へと巣立っていったとしても、今の環境で信頼を獲得したことは必ず次につながる。

 

「自分のことしか考えていない」

そういう人が人生最後まで成功し続けることなどないのだ。

「セブンイレブンのおにぎり」値上げ

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またも食品の値上げだ。

「うれしい値」を打ち出して、おにぎりに関してもお値段抑えめで頑張っていたセブンイレブンだが、それに終止符が打たれるようだ。

 

理由は米の原材料費高騰のため。

令和の米騒動で値段の上がった米の価格は元に戻らないどころか上がり続けている。

一度タガが外れてしまうと元に戻ることはない。

そういうことなのだろう。

 

驚いたのは、塩おにぎりとシーチキンマヨネーズの値段が同じになること。

海苔も具もない塩おにぎりとシーチキンマヨネーズが同じ値段で、果たして塩おにぎりを買おうと思う人がいるのだろうか。

 

ここしばらくで値上げが続き、コンビニは高級品というイメージが強くなった。

小規模スーパーがコンビニと同じくらい展開されている昨今だ。近くて便利という理由だけで敢えて値段の高いコンビニを利用する選択肢を選ぶことは無くなった。

 

それでもセブンイレブンに関しては、うれしい値で価格を抑えている点、クレジットのタッチ決済で10%ポイント還元させる点から私は優先して利用するようにしていた。

しかし、また値上げとなると考えてしまう。

おにぎりが一番コスパが良かったのだが、違うものを買うようにするのか。

あるいは、別の選択肢を考えるか。

平日ランチの選択肢を少し考え直す必要がありそうだ。

 

他のお店も値上げをしている。

500円だったお弁当がいつのまにか600円となり、今では700円を超えるようになった。

エンゲル係数が上がっていく。

私の会社では物価に連動したベースアップを続けていたが、来年度は渋くなりそうだ。

 

先行きに不安が募る。

個人経営のお弁当屋さんでは、お値段据え置きで頑張っているところもあるが、不動産価格も上がっているから、特にビジネス街では家賃にも跳ね返って来る。

どこかで限界を迎えるのだろう。

 

なんとも世知辛いものだ。

新入社員の反乱

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私の職場には、部下のほぼ全員に嫌われている管理職者がいる。

仮にAさんとしておこう。

純粋悪というわけではないのだが、自分のことが大好きで無駄にプライドが高い。

その高いプライドを少しでも傷つけようものならば、烈火の如く相手を捲し立てる。

裏を返せば、自尊心が低く人として未熟ということなのだろう。

何年も一緒に仕事をしている部下たちは、「こういう人だ」と割り切って働いていた。

 

ところが先日中途で入社した若手の新入社員。

とても正義感の強いお人柄なのだろう。

これまで通り我が物顔で個性を発揮するAさんに対して、面と向かって「こういうところは改善すべきだ」と箴言するのだ。

 

そうすると、元々自尊心の低いことを隠すために強気に見せていたAさんは狼狽する。

それを重くみた上の人たちは、部署で話し合いをするように、と対策を言い渡す。

 

それがまた逆効果だ。

これまでのAさんに対する他の部下たちの不満が爆発して、Aさんは袋叩きにあう。

結果としてAさんと部下たちの関係は最悪となり、コミュニケーションの機会は激減。曲がりなりにも「管理」をしていたAさんは管理することを放棄してほぼプレイヤーとなった。

業務の属人化は加速して効率性は悪化。休み時間も黙々と仕事をしなければ抱えているタスクが終わらないようなブラック部署へと変貌した。

 

それを傍目で見ていた私。

「若いって素晴らしいが、恐ろしいな」と思った。

中途の若手社員からすれば、部下たちの不満を代表して良かれと思って箴言したのだろう。

現に、裏では部下たちがAさんへの不満を散々口にしていたことを私も知っている。

 

会社としてもコンプライアンス重視を標榜して、散々ハラスメント防止の社内セミナーや研修を行なっている。

その観点からすれば、若手社員の行動はまさに「正義」である。

 

しかし「正義」を貫くことが必ず幸せな結果を生むわけではない。

今回のケースでは、ホワイトな職場を目指して「正義」を振りかざした結果、職場はよりブラックへと変貌してしまったのだ。

 

さて、私はこのブラックな部署立て直しのために、Aさんの補佐を命じられそうな情勢だ。

Aさんは管理を放棄しているため、実質は私が管理することになるのだろう。

しかし、Aさんは変にプライドが高い。

表立って私が管理していると快くは思わないだろう。

 

上からも下からもプレッシャーをかけられて、私が一番ブラックな環境を享受することになる。

まぁ、まだ決まったわけではない。

先のことは決まった後に考えよう。

余計なことも抱えては、体がもたない。

疲労困憊の月曜日

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土日があまりにも忙しかったものだから、金曜日の時点よりも疲労が溜まっている。

その状態で迎える月曜日。1週間が思いやられる。

妻と出会ってから私の土日は色鮮やかに変わった。大体毎週土日のどちらかは予定が埋まっており、一緒に色々なところへ行った。

 

そして結婚してからは、私の土日は自分だけのものではなくなった。妻と共用のものとなったのだ。

お互いの予定を共有しながら買い物の予定を決めたり家事の予定を決めたりする。

 

さらに、娘が生まれてからは私の土日は完全に休みではなくなった。

イベントごとは増えて予定に追われながら過ごすようになったのだ。

 

ライフステージの変化とともに休日の過ごし方は変わっていく。

「人生は壮大な余暇である」

ビールのCMでそんなことを言っていたような気がする。時間の使い方そのものを自由に決められるとしたら、何を選択するにしても自己責任なのだ。

 

さて、私は自分で選択して望んだ未来を掴み取った。その先にあるのが今だ。

土日がなくなったとしても、毎日疲労困憊で過ごしたとしても、それは私が望んでそうなったこと。

自分の選択に責任を取らなければならないのだ。

 

今週も過酷な1週間となるのか。

はたまた少しは落ち着いた1週間となるのか。

それは始まってみないとわからない。

 

娘はどんどん成長しておてんばになっていく。

女性に振り回されるのは慣れっこだ。

また今週も頑張ろう。

 

「オールドメディア」と「ニューメディア」

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少し前からテレビを「オールドメディア」と呼び、テレビは自分たちに都合の良い偏った報道をするという風潮がある。

 

いわゆる「情報操作」

スポンサーがついていて金銭の授受が行われている以上は、間違いなくそういうことがあるのだろう。

 

しかし、考えてもみてほしい。

方や「ニューメディア」と持て囃されるSNS界隈は、真実のみを発信している正義のメディアだと言えるのだろうか。

答えはNOだ。

 

むしろ「ニューメディア」の方が裏付けもなく無責任に情報を発信している。

テレビ以上にアクセス数を稼ぐことに躍起となり、情報の洪水の中に情報を投下し続けることが常となっている。

 

YouTuberの知り合いに話を聞いたことがある。

彼はそれだけで生活できるほど稼いでいた。

彼によると、とにかく高頻度で投稿を続けなければアクセス数を稼ぐことができないので、クオリティよりも投稿数が大事とのこと。

 

それで生活をしていることに対するプレッシャーは常にあり、常にロケで全国を飛び回っているくらい自由がないとのことだった。

そんな過酷な状況で発信される情報に確かな裏付けを取る余裕などない。

チャンネルは順調に成長していたようだが、その生活に耐えきれなくなって、今ではチャンネルは人に任せて自分は勤め人に戻ったと聞いている。

 

要は「オールドメディア」だけでなく「ニューメディア」も無責任で不確かな情報を垂れ流していることに変わりはないのだ。

情報過多の中で、どの情報を取り入れるのかは全て自己責任。

今はそんな世知辛い世の中だ。

 

お金を稼ぐ手段が無数に広がっている。

だからこそあの手この手で人を食い物にしようとする輩がネット上に蔓延っている。

富の二極化は益々進んでいく。

 

食うものと食われるもの。

人が人のことを道具のように取り扱って、そのことになんの感情も抱かなくなったならば、もはやその人は「人間」ではない。

野生で自分の都合しか考えずに他者を食い散らかす獣と同じだ。

富や名声を得ると人はおかしくなっていく。

そういう人を何度も目の当たりにしてきた。

 

「たまたま幸運に恵まれただけ」

どこかの億万長者が著書でそんな言葉を残していたのを目にした記憶がある。

どんなに富や名声を手に入れても、それに侵されずに真っ当な道を歩み続けている人は稀なのかもしれない。

 

それならば、富や名声なんてものは豊かな人生にとって不要なものなのかもしれない。

人生が終わりを迎える時、自分で自分のことを裁く時がやってくる。

その時に自分の生き方に誇りを持てるのか否か。

それで人生は決まるんじゃないのかな。

 

人に嫌われて、最後は周りに誰もいなくなって、一人寂しくこの世に別れを告げる。

そんな人生は侘しいと思うのは、私だけだろうか。

朝はご機嫌、夜は不機嫌

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ここしばらく娘の夜泣きがある。

少し前までは一度寝ると大抵朝まで起きなかったのに、最近は夜中に2回ほど起こされることが多い。

そして朝になると何事もなかったかのようにご機嫌にキャッキャとしている。

そういうお年頃なのだろうか。

 

こちらは睡眠時間を削られて生産性が悪化している。なんとか改善しなければならないのだが、夫婦で余裕がないものだから、対策を取ることも難しい。

 

ただ耐えてやり過ごすしかないのか。

昨年は乗り切ることができたが、改めて育児は長丁場だと実感する。

まだまだ何年も続いていくし、今よりも大変な時もあるのだろう。

世の中の父母の偉大さは自分が親になってみないとわからないのだと痛感する。

 

とりあえずは娘に合わせて早く寝るしかない。

自分の時間など設ける余裕はないのだ。

とにかく睡眠時間を第一に考えて生活を整えることが先決だ。

あとのことは後で考えれば良い。