「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

夜泣きが出てきた

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うちの娘は基本的に一度寝ると朝まで寝ている。

それを子育て経験者たちに話すと「なんでいい子なんだ」と口々に言われる。

 

しかしここ最近は様子が変わってきた。

夜寝る時間は不定期になり、夜中に起こされることが度々ある。

それでもまだマシなほうなのかもしれない。

聞いた話では、1〜2時間に一度毎日夜に起こされる人もいるようだ。

 

これが成長というものなのか。

ある説によると、夜泣きをするのは、その日に初めての経験をした日が多いとのこと。

その日の出来事を寝ながら整理する作業が「夢」だと言われるように、寝ている時に経験を糧にしているから夜泣きをするのだと考えると、それは娘の成長だと捉えることができる。

 

確かに、ここ最近は妻が育休を持て余して、活発的に色々な人と会って、活発に初めての場所に出かけている。

それを経験として吸収しているから夜泣きとして現れる。

そう考えれば我慢できるか。

 

あとは私たち夫婦の体が持つかどうか。

娘の成長を応援できるように、絶えなければならない時期が受験でもなく、こんなに早くにくるとは思わなかった。

 

これから先は、ずっとこんな生活が続くのだろう。

子育てとはつくづく大変なものだ。

世の中の子育てを経験してきた父母を心から尊敬する。

とりあえず山場は乗り越えた

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今年の山場は乗り越えた。

あとは週末に予定が詰まっているだけだ。

来週も新たな予定がちらほら入ってきているが、概ね問題はない。

 

あとは年末に向けて準備を整えるだけだ。

今年は忘年会が少ない。

11月に毎週飲み会があった反動だろうか。

現状、あと2回の飲み会を経て今年の飲み会予定は終わる。

 

年賀状はどうしようか。

年々返信が減ってきている。

それでもお世話になった人もいるので、変わらずに送る予定だ。

ハガキの値上げが地味に痛い。郵政としても年賀状の文化は終わりにしたいのかも知れない。

この時に人手を集めるのはかなり難しいから、時代の流れからもそういうことなのだろう。

 

どんどん無駄なものは省かれて、パーソナリティが肥大化していく。

時間の使い方のほとんどは個人に委ねられていくのだ。それに伴い、大人の子供化が進みやしないだろうかと危惧する。

面倒なことを受け切って、自分の時間を所属する組織のために使う、いわゆる「社畜」のような訓練も必要なのではないかと思う年になった。

 

多様性を認めれば認めるほど、組織としてはコストがかかるのだ。

管理する側の手間も大きくなる。

そうした強制力をひどく嫌悪して、表面的な自由を権利として主張する風潮が強くなった。

 

そうすると、自分の見える範囲にしか触手が伸びずに人間性の幅が狭まるのではないだろうか。

若手社員を見ていて思うのだが「何事も経験」というスタンスで、納得いかない仕事を任されても受け切る人は成長が早い。

 

権利ばかり主張しても、長い目で見れば自分が損をすることになるのだ。

私も権利を主張して上に反発していた時期があったが、今振り返ればなんとも無駄な時間だったと感じる。

 

ともあれ、私は今年はやり切った。

成長も大いに実感している。

やはり自分の殻を破ってギリギリの線を攻めていかないと、振り返った時に成長を実感できないのだ。

 

まだまだギリギリの戦いは続いていく。

来年も壊れない程度でギリギリを攻めていきたい。

そのためにも今年はゆっくりとしよう。

宇多田ヒカル『COLORS』

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この曲は前にも記事にしたことがあるかも知れない。

人の根源的な部分に突き刺さるサウンドと人生の本質をつくような歌詞。

宇多田ヒカルは、まさしく天才である。

 

青い空が見えぬなら青い傘広げて、

いいじゃないか。キャンバスは君のもの

白い旗は諦めた時にだけかざすの

今は真っ赤に誘う闘牛士のように

 

人生は鮮やかな色で満ちている。

それに目隠しをして生きているのは自分自身。

人生を謳歌するためには、その目隠しを外す勇気を持って飛び込むしかない。

 

まだ見ぬ世界へと。

 

宇多田ヒカル『COLORS』

「忙しい」と思うから忙しい

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今の私は「忙しい」。

ブログにもここ最近何度も書いているように、少なくとも自分ではそう思っている。

 

年頭私の掲げた目標はこうだ。

「コンフォートゾーンを広げる」

 

自分にとって快適だと思える環境を広げていくことで、大変な状況や課題が目の前にあっても動じないような強さを身につけたい。

その観点から今の私をみると動じまくっているのだ。

 

掲げた目標と現状の差が激しくて、私は本当にこの目標を意識して1年間過ごしてきたのか怪しい。

なんでも受け切って、それを悠々自適とこなして成長の糧に変えていく。

そういう理想を掲げていた。

しかし、今の私はちょっとしたことで右往左往するような未熟な姿を晒しているのだ。

 

私よりも忙しい人は山ほどいる。

そして、その人たちがみんな「忙しい」と思っているかといえばそうではないだろう。

主体的に前向きに、忙しさを楽しみながら生きている人もいる。

 

そこに私の未熟さが露呈する。

先日の飲み会で一年感動だったかという振り返りの話になった際に、私は割とネガティブな表現で「忙しすぎた」と総括した。

その時に如何に忙しかったのかを自分語りするのだから、未熟であること甚だしい。

 

今の状況をもう少しポジティブに捉えられるようになりたい。

思えば私は昔から、課題があると「それを乗り越えられれば落ち着く」と、そういう自分への鼓舞の仕方をしてきた。

 

つまり、課題に対して向き合うというよりは「早く終わらせたい」という後ろ向きな取り組み方をしてきたのだ。

今でもそれがクセになっている。

まずはそこから意識を変える必要があるのかも知れない。

 

次から次へと目の前に流れてくる課題に対して、それぞれ主体性を発揮していくことは困難なこと。

それでも、その主体性を発揮する中で一つ一つの課題を成長の糧に変えることができる。

 

流れ作業のように無難にこなしているだけだから、そこに達成した喜びが湧いてこないのだ。

もう少し主体的に、私は私の人生を謳歌する努力をするべきなのかも知れない。

 

それができていないからネガティブな意味で「忙しい」と思って過ごしている。

まだまだ未熟なのだ。

 

さらに寒くなった

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一段と寒くなった。

本来12月はこれくらい寒いものなのだ。

 

寒いと空気が透き通っている気がするのは私だけだろうか。

吐く息の白さがそれを際立たせる。

 

見通しは明るい。

そう信じるに足るだけの根拠はないが、冬の寒さに耐えながら、それでも前に進み続けた先あるものは、必ず私にとって財産になるはずだ。

 

今が一番大変な時期。

それでも寒さの中を前に進み続けるのだ。

一歩進むたびに薄氷を踏む思いで。

慎重かつ大胆に前に進む。

そういう道を進むのだ。

 

春を迎える頃にはきっと、

また新しい景色が見えているはずだ。

時は平等に見えて平等ではない。

 

私の果たすべき使命があるならば、

まだ見えぬ先にあるその使命に向かって、

前に進み続けたい。後悔のないように。

諦めない力

 

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私はブログを書き続けることで自らを鼓舞し続けてきた。

むしろ、自らを鼓舞し続けることを目的としてブログを書き続けていると言っても過言ではない。

 

毎日ブログを更新し続けて、気がつくと6年を経過していた。

その先に辿り着く先はない。

それでも私はブログを書き続けている。

 

ここしばらくはポジティブな内容の記事が増えてきた。そうなると自然とポジティブな方向に気持ちを進めることができる。

これも習慣の効果だろう。

日常的な行いに人生は引っ張られていくのだ。

 

とにかく忙しい。

その中で成長を実感できている。

そのことが私の心をプラスに向かわせてくれる。

人は「前に進んでいる実感」が無いと、生きていて辛いのだ。

エネルギーを枯渇させてしまうのだ。

 

だから、少しでも「成長を実感したい」

その積み重ねの中で、人生が前に進んでいると、そう信じたいのだ。

 

今週一週間が勝負。

中でも月曜と水曜と土曜が勝負だ。

全てを大成功で終えて、来週を迎えた私が悠々自適に過ごせるようにしたい。

 

最後まで諦めずに今週を乗り越えたい。

そのために、どんなに忙しくても書き続ける。

今年最後の山場だ。

ここを乗り越えればきっと、来年のスタートダッシュに繋げることができる。

 

いよいよ正念場。

忙しかった今年の締めくくりにふさわしい勝負の時がやってくる。

Amazonの誤配送で得をした話

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昨日までだったか。Amazonではブラックフライデーセールが行われていた。

おそらく世の中の運送業者さんたちは嫌気がさすほどAmazonの箱ばかりを配送しているのだろう。

そして、Amazon倉庫もてんやわんや。

ブラックフライデーを文字通りの意味でブラックだと実感しているのかもしれない。

 

そんな中で、私にとっては誤配送により得をしたエピソードがあった。

自宅の宅配ボックスを開けると、注文した記憶がない大きな荷物。

中身を開けてみると注文した覚えのない1kgのプロテインが入っていた。

 

Amazonアプリから注文履歴を確認するが、どこにもプロテインを注文した形跡はない。

代わりに注文したものが配送済みとなっているが届いていない。

「これは誤配送だな」と思い、Amazonカスタマーサポートに問い合わせると、すぐに届いていない注文分の返金手続きが始まる。

 

誤配送されたプロテインについては「そのままお納め下さい」とのことだった。

調べてみると4000円ほどする品物だったため、それを丸ごといただけた形になる。

これはプロテイン不足を指摘した天からの計らいなのだろうか、

そんなことを考えながらも、捨てるのももったいないので、しばらくプロテインを飲もうと思う。

 

今回はプロテインだったから「ちょっと得をしたな」くらいだけれども、もしもiPadのような高価なものが誤配送されてきたら、さすがに返送する必要があるのだろうか、それとも今回と同じく「お納め下さい」という話になるのだろうか。

 

いずれにしても、忙しいAmazon倉庫で働く人や配送業者に同情する。

Amazon倉庫はオートメーション化が進んでいると聞くので、もしかしたらミスの情報が現場まで共有されて、ピッキングを誤った人にペナルティが課せられたりするのだろうか。

そう考えると素直に喜ぶことはできないな。

 

誰かが得をする裏には、多くの場合、損をする人がいるのだ。

世界の幸せの総量は、もしかしたらほとんど一定を保っているのかもしれない。

みんなが幸せを、喜びを感じられるような世の中になればいいのにね。