DVDが出たので2019年No.1の話題作、映画『天気の子』を見た

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「あいたたたたー。やってしまったな」

一言で書くならば、そういう感想だ。


新海誠監督の作品は、

自主制作の短編『ほしのこえ』を含めて、

世に出たほとんど全ての作品を見ている。


新海誠監督は間違いなく天才だ。

私はそう思っている。


「映像も構成も演出も文句なし、

だけれどもストーリーが根本的に好きになれない」


誰かに新海誠作品の話をする時は、

決まってそのように評する。


その上で『天気の子』


中二病爆発」だ。

新海誠節炸裂」である。


恋愛至上主義

「世界よりも大事なものがある」

「世界」よりも「一人の女性」を選ぶ。

 

これでは『秒速5センチメートル』の延長線上だ。


「手に入らないから殻に閉じこもってしまった」

そんな『秒速5センチメートル』から、

「僕たちは大丈夫だ」で締め括られる『天気の子』


確かに前には進んでいるけれど、

ごめんなさい。

「恋愛」ってそんなに大事なものなの?


「真実の愛を求めている」

普段からブログでそんなことを曰う、

そんな「純愛至上主義者」でこじらせ男、

その私にこれを書かせるのだ。


はっきり言って、

『天気の子』のこじらせ方はぶっ飛んでいる。

 

前作『君の名は。』は、

少し尺を持て余していた感じはするが、

綺麗に終わるまとまった作品だった。


私の感想は、

新海誠が売れ線で作ったらそりゃ売れるわ」

だった。


君の名は。』が売れたから、

きっとこじらせ要素満載で、

今回は好きに作れたのだろう。


この作品が好きならば、

きっとその人は新海誠作品が好きだし、

そうでなければそういうことなのだろう。


「良くも悪くも新海誠監督らしい作品」

 

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※ここからは酷評するので注意


とても気になったのだけれども、

おそらくスポンサーたくさんついていた。

とってもたくさん、


ccレモン」に「どん兵衛」に、

チキンラーメン」にカルビーのポテチ、

ペプシ」もかな。

他にもたくさんあった。


あれだけ作中に銘柄を出すのだから、

スポンサーなのだろう。


どうも商業的な匂いがする。

なんだかそれが嫌だった。


珍しく構成もイマイチ、

「社会の闇」を描くために尺を使いすぎ、

 

世知辛い世の中と対比させて、

そこに対しても「僕たちは大丈夫だ」

そういうカタルシスを狙っているのはわかるのだけれど、


言の葉の庭』は、

見事に無駄なく46分でまとめていた。

思わず唸るほどの完成度の高さだ。

これもストーリーは中二病爆発なのだけれども、

 

新海誠監督は中編向きの監督だ。

まとめる力が凄すぎて尺を持て余すのだろう。


少し前にアニメ映画化された、

森見登美彦さんの『ペンギンハイウェイ』


本作と比較対象にされるくらいには、

似ている点が多い。


話題性を抜きにしたら、

ハッキリ言って『ペンギンハイウェイ』の方が良くできていたと思う。


私がブログで作品を酷評することは珍しい。

心を動かされたものしか記事にしないから、

もしかしたら初めてかもしれない。

 

本作にはめちゃくちゃ期待していた。

だからある意味で心を動かされたのかな。


その分だけ、

少し、いやだいぶ残念だった。

 

良かったシーンはたくさんある。

私の期待が大きすぎたのだろうか。


宣伝でもよく流れていて、

ポスターにもなっているけれど、

空から落ちるシーンは見事だ。

この記事のキャッチにしているシーン、


あのシーンにつなげるために、

そこまでの全ての流れがあった。

「あのシーンのための作品」だと思えば悪くない。


一つ一つのシーンにこだわりを感じるし、

素直にグッとくるものはある。


なつみさんのバイクに飛び乗ってから暴走、

制止されても野次馬に馬鹿にされても気にせずに、

線路をひたすら疾走するシーン、


あれも見事だ。

 

東京の街並み、

そのリアリティ、

細かい看板まで見事に再現されている。

そのこだわりは驚嘆するほどだ。


演出と映像はさすが、

文句のつけようがない。


だけれどもやっぱり、

「恋愛」ってそんなに大事なものなの?

それに尽きる。


青春の疾走感だったり甘酸っぱさ、

そういうものには共感するけれど、

「これ見よがし」で、

なんだかそこにリアリティがない。

作画はこんなにもリアリティに溢れているのに、


新海誠節」


秒速5センチメートル』は何度も見た。

あの希望のない世界観に閉じ込められる感覚、

そんな悲劇に浸れるある種のヒロイズム、

そこに生まれるカタルシスはある。


だけれども、

「人生って恋愛しかないの?」

どうも視野が狭くてそこだけは共感できない。

 

もう一度書くけれど、

私は新海誠監督を天才だと思う。

 

なんだかんだで新海誠監督の作品をこれからも追うのだろう。

期待に胸を膨らませながら、

 

私の感想はそんなところだ。

 

「怒る姿が想像できない」って言われるけれど

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「すぐに怒る人」
 
感情のコントロールが下手くそだからだとか、
怒ることで自らの存在を示したがるだとか、
そんなところだろうか。
 
怒りたいけれど「怒れない人」ってのもいるかもしれない。
 
きっと「自己犠牲的」もしくは「臆病」
そういう気質なのだろう。
 
だけれども、
「怒らない人」って、決まってドライだ。
「怒らない」のは「怒る価値がない」から、
 
怒りを露わにして、
そこから関係修復に費やすコストを冷静に勘定して、
割に合わないから「怒らない」という選択をする。
 
「怒らない人」って、
きっと他人にあまり期待していないのだ。

だから人のミスに対して許容できる範囲が広い。
 
そんな「怒らない人」がもし怒ったとしたら、
それはもはや「二度と関わりたくない」くらいの怒りだろう。

 
自己分析では、
私はおそらくこの「怒らない人」に当てはまる。
 
普段は温厚だ。
怒りをあらわにすることは滅多にない。
それこそ「怒る姿が想像できない」って言われるくらいに、
 
だけれども非合理を突き付けられたら、
人とぶつかることを厭わない。
大抵それで相手は面食らう。
 
「怒る」ことは珍しいけれど、
「怒れない」わけではない。
 
そんな私がイライラを抑えられない職場の二股クソ女、
何度か記事に書いている、
私の「惨めさの象徴」だ。
 
ピンポイントで反応してしまう。
もはや「生理的に無理」というやつなのだろう。
 
久々に関わって、
いや、厳密に言えば、
関わることを避けられてイラっとした。
 
関わられてもイラっとするし、
避けられてもイラっとする。
もはやどうしようもない。
 
存在自体がストレスだ。
 
私は関係がこじれたときに、
自分から歩み寄りの姿勢を見せるようにしている。
それでもダメならばバッサリと関わるのをやめるけれど、
 
彼女に対してもそんな時期はあった。
 
だけれども、
ことごとくすれ違って、
いつの頃からか私は関係を断つことにした。
もちろん仕事で必要な場合は除いて、
 
それを察知して狼狽えた彼女は、
私とトリッキーな関わり方をするようになる。
 
気持ち悪いくらいに媚を売る時期と、
挨拶も返さないくらいに避ける時期、
それを不定期に繰り返す。
 
「自分は悪くない」と主張できるギリギリの線を狙って、
いつも狡猾に「被害者ヅラ」をする。
 
本当に気持ちが悪い。
 
私はドライを演じているだけで、
きっとドライにはなり切れないのだろう。
こんなことでいちいち心を乱されているのだから、
 
「ルシファー・エフェクト」
 
「温厚で理性的な常識人」
いくらそう自己評価したところで、
人は環境に染まってしまうのだ。
 
緩やかな悪意に徐々に蝕まれて、
「憎しみ」は心の奥底に育っていく。
そして都合のいいロジックを作り上げて自分を正当化する。
戦争なんて全部そんなものでしょ。
 
「怒る姿が想像できない」
 
そう見えるだけで、
「憎しみ」は心の中に育っているのだ。
それを表に出さないようにしているだけ、
 
耐えがたい不誠実さに晒されて、
その環境に順応するために、
自分一人では解決できない劣等感を無理やり自己解決しようとして、
「惨めさの象徴」を人生から排除する。
 
そんな歪なロジックを組み立てることで、
何とかボロボロの自尊心に箔をつけてやる。 
惨めなことに変わりはないのにね。
 
気にしないように努めるほどに、
気になってしまう。
 
感情を動かさないように努めるほどに、
感情があることを意識してしまう。
 
一度嫌いになってしまったら最後、
「 気にしない」ことなどできないのだ。
 

アニメ『銀の匙 Silver Spoon』全22話を見た

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先日記事にした、

鋼の錬金術師』を書いた荒川弘さんの作品、

 

原作は少年サンデーで連載され、

長期の休載を経て昨年末に完結した。


アニメの方は原作の一部のみを描いている。

実写映画化までされている。


テーマは「命の尊さ」


青春の甘酸っぱさと相まって、

「じーん」と来る物語を紡ぎ出す。


北海道の山奥にある農業高校が舞台、

 

進学校に通っていた主人公は受験戦争に嫌気がさし、

逃げるように目的なく本校に入学した。

 

不器用で「断れない男」

秀才で卑屈なところはあるが、

見た目とは裏腹に根性があり仲間思い。

とても味のある主人公だ。


高校で出会う数々の仲間、

多くは家業を継いだり、

農業に関わりたいという確たる目標を持っている。

 

高校生にして厳しい現実に晒されて、

農業で生活することの大変さや、

命の重さを突きつけられる。


「飽食の時代」


我々は口にするものがどこから来て、

どのような経緯で店頭に並ぶのかを知らないし、

それを知る機会もほとんど与えられない。

 

「生きるため」

 

それだけを切り取れば、

深くを知る必要はないのかもしれない。


だけれども、

「命」と向き合いながら働く人たちがいる。

そして我々はその「命」を口にしているのだ。

その事実は変わらない。


「知らなくていいことなど何一つない」


先日記事にした、

吉本ばななさんの『哀しい予感』


そういうテーマの本を読んでから、

何気なく通り過ぎる物に目を向けてしまう。


世の中には、

知らなくても生きていけることがたくさんある。

その全てと向き合うことはできないけれど、

知ることで広がる世界はある。


高畑勲監督のジブリアニメ『おもひでぽろぽろ


その中で印象的なシーンがあった。

都会でOLをする主人公、


年に一度だったか、

田舎で親戚の手伝いに農作業をするのが楽しみだった。

 

その度に軽はずみに口にする、

「良いところですね」って言葉、


「農家の嫁に来ないか」って、

そんな現実を突きつけられたときに、

自分のその軽はずみな言動を酷く恥じる。


「私にはそんな覚悟はなかった」って、

「毎日の仕事にする覚悟はなかった」って、

「観光気分で来ていただけだった」って、


人の命は「晴耕雨読」で満たされる。

 

だけれども「命と向き合う」って大変なこと、

「自然と関わること」を生業とするって、

遊びでできることではない。

 

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「デジタル」に懐疑的になっていた。


自然に身を投じたり、

体を動かしたり、

人との触れ合いやらぬくもり、

そうした熱に満たされるって、

ここ最近の私の考えはそっちの方向に傾いていた。


晴耕雨読」になんて、

かじる程度にしか触れていないくせに、


結局はアニメで「デジタル」なんだけれど、

なんだか「自然に触れたいという欲求」

そういうものを呼び覚ましてくれた作品、


人が社会を作り出して、

食物連鎖の頂点にいるってのは、

思い上がりなのだ。


人も生かされている。

とんでもない奇跡に包まれながら、


少し前のドラマ高橋一生さんが主演した、

『僕らは奇跡でできている』

それがそんなテーマだったな。


銀の匙


「食うに困らない裕福な生まれ」

そういう意味があるらしい。


同名の中勘助さんの小説は一度読んだことがある。


「食うに困らない」


現代人の多くはそんな裕福さを、

自覚なく享受しているのだ。

その先にあるものに目を向ける機会すらなく、


だから「命」を軽率に扱うようになる。


「牧歌的」そのままにほのぼのとしながらも、

そんな病理を浮き彫りにするような作品、


連載終了して、

おそらく続きがアニメ化される期待は薄いだろう。


「原作の漫画を最後まで読みたいな」

そう思うくらいに心に響く作品だった。

 

「テラスハウス事件」に思う。プライベートを切り売りするということ

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「あいのり」は見ていたが、

テラスハウス」は見ていない。


ネットで少し調べた程度なのだが、

テラスハウス」に出演していた女性が、

誹謗中傷を苦にして命を絶ったという。


「プライベートを切り売りする」


ブログだってそういう面がある。

プライベートを晒すことで興味を引き、

自尊心を高めたり利益を得たりする。


それを自覚しているのであればいい。


だけれども無自覚にプライベートを晒して、

気が付くと後戻りできなくなっていたら悲惨だ。


そもそも私のように、

利益を目的としないでブログを書いているのって、

「承認欲求」が強いのだろう。


もともとの気質なのか。

それとも傷ついた経験によるものなのか。

それは人によるけれど、

 

晒すことで名前が売れるってことはあるだろう。

仕事の一環としてやらされていた可能性もある。


テラスハウス」出演に報酬が発生するのかは知らないけれど、

「真実の愛を求めて」っていい年した大人がそれはない。

相手を探すならばプライベートを晒さないやり方はいくらでもある。


「承認欲求」


それの強い人って、

「晒されること」ととても相性が悪い。


「認めてほしい」から敢えて人目に付くのに、

「認められない」ことによってさらに損なわれてしまう。


「認めてほしい」

だからプライベートを晒すのに、


「認められない」

それどころか存在を否定される。


なんとも「いたたまれない」ものだ。

 

もちろん人をおもちゃにして、

面白おかしく笑いものにする。

そんなクズは論外だ。

 

誰かの存在を否定することで、

自分が誰かの上に立っていると錯覚する。

そんな下の下の自尊心の満たし方、

それに夢中になっているクズ、


番組の在り方を問う声が多い。

 

同意があるとはいえ、

人のプライベートを食い物にする商売、

確かにそれにも問題はあるのだろう。

 

だけれども、

「出演者の自覚」

それが一番の問題なんじゃないかな。

 

亡くなった女性はいわゆるヒール役だったらしい。

叩かれることで存在意義を見出す役回りだ。


台本はないというけれど、

人が集まればパズルのピースのように役割にはまっていく。

コミュニティが作られれば、

人はその中に「居場所」を作るために役割を演じるのだ。

 
そしてその役割には、

共感する人もいればしない人もいる。


それが不特定多数に晒されるのだから、

どのような振る舞いをしても批判を浴びるのは必然だ。


だから晒す情報は取捨選択してさ。

その晒した部分については「叩かれてもかまわない」という覚悟が必要、

「プライベートを晒す」ってそういうことなんじゃないかな。

 

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「不愉快ならば見なければいい」

 

ごもっともな意見だけれども、

そもそも「見せなければいい」

見せなくてもいいものを自分の意志で見せているんでしょ。


顔も仕事も名前も出して、

不特定多数に晒して、

それで何とも思わないなんてどうかしている。

リスクとリターンを考えなければならないんじゃないかな。

 

今回の事件は「いたたまれない」

 

だからプライベートを晒すって、

リスクの高いことなんだって、

改めて認識しないといけないんじゃないのかな。


「承認欲求を満たすこと」

 

それは人生に彩りを添えるために必要なことだけれども、

それにばかり軸足を置きすぎてはいけない。


人からの評価が「自己存在のすべて」

それはとても恐ろしいこと、

 
自分で夢中になれるものを見つけて、

その一つ一つに可能な限りの力を注ぐこと、

柔軟な取捨選択も必要だ。


そうやって「自分」を形作っていくんじゃないかな。

 
仕事だけじゃない。

趣味だけじゃない。

家庭だけじゃない。

 
夢中になれること、

それをいくつも増やして隙間の時間を埋めていく。

 
そしてかけるべき時にかけるべきものに、

惜しみなく時間や労力を注ぐ。

とても難しいことだ。

 

だけれども、価値観の多様化によって、

そんな超人的なバランス感覚が求められている。


「これだけしていれば大丈夫」

そんな保証はどこにもないのだ。


社会が先に進みすぎて、

その変化を血肉にしていかないと取り残されてしまう。

 
互いが互いを監視して、

ほとんどの国民はいつでも不特定多数に情報を発信できる、

そんなツールを常備しているパパラッチだ。

 
死ぬまでのんびりできない。

そんな社会になってしまった。


番組が人気って、

それを社会が求めているってことでしょ。


社会が止まらないならば、

人がそれに合わせて変わるしかないのだ。

そうしないと淘汰されてしまう。


「プライベートを晒してもなんとも思わない」


それってもしかしたら進化なのかな。

そう進化しないとこれから先は生きられないのかな。

 
デジタル難民、

テレワーク難民、

情報難民、

 
そして肥大化した自己承認欲求に支配されて、

失われた自尊感情を求めて彷徨う、

そんな「自尊感情難民」

 

ある種の格差は広がる一方だ。


いくら社会保障が充実したところで、

難民は増える一方、

 

だからこそ自分の身は自分で守らなければならない。

 

逃げ道は常に確保して、

何かあれば見栄もプライドも捨てて、

全力で逃げ出せばいい。

そうしないと生きてはいけない社会なのだ。

 

既婚の友人から結婚相談所の情報が送られてきた話

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急にLINEで送られてきた。

テレビでやっていたそうだ。


とりあえず返しておいた。

「ありがとう」って、


確かにそういう話はしたけどさ。

地味に傷つく。


もちろん好意でしてくれたことはわかっている。

 

だけれども、

もう「相談所行かないと無理だよ」って、

そう言われているような気がした。


オンラインでばかり人とつながっているから、

自分のキャラが分からなくなってくる。


「役割」を演じていたのだ。

でもどんな「役割」だったっけ?


いくつものグループに所属して、

カメレオンのようにペルソナを付け替えて、

そんな複雑なタスクをこなしてきたものだから、

少し距離を置いてしまうとわからなくなるのだ。


婚活なんてさらにそう。

もはや「道化」だ。


表向きはお互い楽しそうにしていても、

どこか腹の探り合い。

「警戒」から入る出会いなのだ。


ホントに疲れてしまう。

「既婚」ってステータスを得ることは、

そんなに大事なことなのだろうか。


愛する相手よりも、

それを得ることが目的ならば、

誰でもいいってことでしょ。


ドラマ『凪のお暇』


再放送を見て感じたけれど、

「道化」を演じれば演じるほどに、

心の奥の大事なところがすり減ってしまう。

 

だから凪ちゃんはどちらも選ばなかったのだ。

ごちゃごちゃして気持ちの置き場所が分からなくなってしまったら、

一人の時間を作って自分を作り直す必要がある。

 

そもそも複数の相手を天秤にかけている時点で、

どこか迷いがあるのだろう。


去年の夏、

私もそうだった。


「この人かもしれないな」って、

そう思えた人から告げられた突然のお断り、


豹変する態度、

相手からすれば1か月限定のお遊びだったのかな。


そこからモヤモヤしながらも、

他の女性と会い続けた。

確か1か月で6人くらいだったかと思う。


私次第で先に進むことのできた人もいた。

だけれども私は誰も選ばなかった。

一度ニュートラルにする必要があったのだ。


そこから先、

心は負の方向にばかり動いていたのに、

痺れを切らして婚活を再開し2人と会った。


そうこうしているうちにコロナ禍で、

今やほとんど休止状態だ。


時ばかり過ぎていき、

年ばかり重ねていく。

周りから見てももう手遅れなのかな。


そろそろまた向き合わないといけないようだ。

殻に閉じこもっていれば褒められる期間は終わりを告げる。


徐々に心を動かして、

先に進まなければいけないのかな。


ここ最近、

ようやく私のブログらしくなってきたな。

 

おそらく負の方向にだとしても、

心が動き出した証拠、

帰属意識が薄れていく。「アフターコロナ」の働き方はどう変わるのか

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「自分は何かの一員」

そういう気持ちが心の支えになることは少なくない。

 

どこかに毎日通って、

決まった人と一緒に決まった時間を過ごす。

 

ルーティンってやつ、

それだけで「帰属意識」は満たされるのだ。

 

だけれども生活が大きく変わって、

自宅から出ることが極端に減った。

 

そんなものだから、

これまで帰属していたものに対する意識は薄れていく。

 

孤独を通り越して、

「自由」を求めるようになるのだ。

 

あんな満員電車に乗りたくないし、

ストレスにまみれて職場に通いたくない。

そう思っている人は少なくないんじゃないかな。

 

報道されたけれども、

アメリカの大手映画配給会社が、

協定を破って映画館上映よりも先に新作をネット配信したらしい。

しかもそれによって従来よりも大きな利益を得た。

 

今まで気が付かなかったけれども、

より効率的な収益構造ってあるんじゃないかな。

もちろんそれにより割を食う人が必ずいるのだけれども、

 

社会は変わらなくてはならない。

 

便利になればなるほどに、

人はそこから抜け出せなくなる。

それは歴史が証明してきたことだ。

 

だから時代に合うような構造にしていかないと、

どんどん淘汰されてしまうよ。

 

帰属意識

 

それって「与えられるもの」だったのが、

これからは「自分で見つけるもの」に変わる。

 

情報はあふれているのだ。

敢えて不便な環境に居続けることはしない。

 

帰属意識を植え付ける」

 

それって企業にとって割と効率的な育成システムだったけれども、

これから先は本質的な有益性が求められるのだ。

 

逆に言えば、

「人のつながり」よりも、

「個人の損得」が優先されるということ、

 

これからの社会は、

よりシビアに、よりドライに変わっていくのかな。

 

かく言う私も「帰属意識」の薄れを強く感じている。

自立すればするほどに必要とするものは減ってくるのかな。

 

「人材の流動性

それは日本における大きな課題だ。

 

「終身雇用制度の終焉」

いつかは来るその時が今回の騒動で早まったのかもしれない。

 

オープンハウスのCMを見て感じたけれども、

いつまでも変わらないものは「愛」ではなくて「駅近の土地」

それって本当なのかな?

 

テレワークが拡大すれば、

敢えて都市部に住む人は減るんじゃないのかな。

 

むしろテレワークを導入しているか否かで、

仕事を選ぶ人が増えていくんじゃないかな。

 

「アフターコロナ」

 

もう一度書くけれど、

「便利になればなるほどに、人はそこから抜け出せなくなる」

 

気が付いてしまったらもう遅いのだ。

通勤も満員電車も本当に必要なものなの?

 

必要な職種ももちろんある。

だけれども必要ない人が通勤しなくなれば、

満員電車の解消につながる。

そうやって社会全体のストレスを軽減するのだ。

 

そういう事をしていかなければいけないんじゃないかな。

きっと今はターニングポイント、

 

すでに淘汰は始まっているのだ。

それは多くの人が実感していることだろう。

 

政治家や経営者はもちろんだけれども、

一人一人がそのことを認識して、

身の振り方を決めていかないといけないんじゃないのかな。

 

月並みな結論だけれども、

強くそう思う。

 

パニック障害を発病して丸4年が経った

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ちょうど一年前に書いた記事、

tureture30.hatenadiary.jp

 

この記事を書くことがブログを書く目的の一つだったように思う。

それくらい私にとっては大きかった記事だ。

 

4年、

こうして私はいつまでカウントを続けるのだろう。

 

この経験、

そのエッセンスは手放してはいけないことなのだろうけれども、

過去のこととして、

もう十分に手放してもいい頃合いだ。

 

5月24日、

 

だけれどもこうして今日も、

その日を迎えた回数を数え続けるのだ。

 

人生観が大きく変わった。

間違いなくそんな経験の一つ、

 

原因のすべてではないけれども、

これによって恋愛における人生最大のチャンスを逃した。

 

満たされない限りは、

いつまで経ってもこの傷は疼くのかな。

 

動いてもダメ、

動かなくてもダメ、

何をしてもダメ、

そう思うのに十分なくらいには行動を起こした1年間、

 

その末の今なのだ。

 

10数人の女性とデートを重ねても、

誰とも関係が先に進むことはなかった。

 

「弾む会話」に「触れあう肩」

毎日連絡を取り合って、

「電話で愛の言葉のようなもの」を交わしあった相手もいた。

 

「手をつないだ帰り道」

「本屋で探りあったお互いの好み」

「私が得意気に焼いたお好み焼き」

「隣に並んでくれたエスカレーター」

「思わず寝てしまい怒られたプラネタリウム

「どちらがうまく料理の写真を撮れるか勝負した」

「あまり美味しくなかったタピオカミルクティー

「過去の恋愛を晒しながら食べたパスタとティラミス」

「待ちぼうけの末にサイゼでくれた「超すみません」という謝罪」

 

「不誠実だな」と思うのは、

これが一人の女性との思い出ではないということ、

 

そうやって私は「足りなかったもの」を求めて、

女性との経験をたくさん回収したのかな。

 

きっと私が求めるものに近づくためには、

悪くない経験だったのだろう。

 

だけれども、

どこか私のコンプレックスというか、

「自信のなさ」

きっとそういうものがにじみ出ていて、

その誰とも関係が先に進むことはなかった。

 

「満たされない」

 

そうして傷跡ばかり気にしているから、

いくら手足を動かしても心は置いてきぼり、

それではうまくいくはずがないな。

 

きっと本気ではないのだ。

 

なりふり構わずに手に入れたい。

それほどの気概はない。

 

だから不安に思った相手は距離を取る。

そして私は彼女たちを追うことはしない。

そうやって関係は途切れる。

 

その繰り返しだ。

 

「またか」って、

傷つくことを恐れて先に進まなかったのに、

傷ばかりが増えていく。

 

「自分のすべてを受け入れてくれる女性」

 

傷つくことが怖いから、

そんなところに焦点を当ててしまって、

ますますこじらせることになる。

 

5年、

その時の私は誰といるのだろう。

相変わらず一人なのかな。

 

5月24日、

どうやらこの日はマイルストーン

 

この日にこのことを気にしなくなった時、

きっとその時に私は幸せに包まれているのだろう。

 

そのように信じて、

またこの日から歩みを始めるのだ。