30代童貞こじらせ男の記録

散りゆくままに、徒然と、

過剰適応

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存在価値に自信がないから、

周りに迷惑をかけないことが行動規範となる。

そして自分を殺してしまう。


周りが幸せになるなら我慢すればいいって、

自分の幸せをないがしろにして、


それは、自分の幸せを思ってくれる人、

その人を傷つけること、

その人を裏切ること、


人を好きになりたいのならば、

まずは自分を好きになること、


そうしないと、

自分のことを好きになる人のことなんて信じることができないから、


私のことを好きな私と、

私のことを好きな相手、

そうなることで初めて思いが一つになる。


もちろん、

相手のことを好きな私と、

相手のことを好きな相手、

それで一つになれる。


お互いが自分と相手を好きなこと、

そうしないと関係は続かない。


幸せなら手をたたこう

幸せなら態度で示そうよ。

でも幸せでもないのに無理に幸せぶる必要はない。


そうするとどんどん自分のことが嫌いになってしまう。

愛があれば乗り越えられますか?

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条件ばかりで相手を選ぶ。

お互いにそれに納得をして一緒になる。

 

女は不安を解消するため、

男は子孫を残す本能に従って、


容姿、職業、収入、健康、

もちろん年齢も、


条件など移ろいやすいもの、

それが変わってしまったら関係も清算するのか。


きっかけはそれでも良い。

でもそこから愛を育むことができないと、

お互いにとっての不幸につながる。


愛を育むことができない相手とは、

早めに距離を置いた方が良い。


距離を置けないと、

一緒にいた時間の長さに比例して、

自分を裏切り相手を傷つける。


「自分が我慢すれば周りは幸せ」なんて、

そんな理屈で不幸を育む必要はない。


「自分が満たされること」

結局はそれが周りを満たすこと、


愛なんてものは不確かなもの、

だけど、幸せにつながる確かなものなのかもしれない。

 

条件が変わっても変わらない気持ち、

互いがそれに満たされる関係、


愛に満たされていれば、

大抵のことは乗り越えられるのかもしれない。


時を経るごとに、

愛が深まるような関係を築きたい。

 

必要なのは共に困難を乗り越えた経験、

衝突した時に相互理解への努力を怠らないこと、

その積み重ねか。

なにかに一生懸命になっていないと気がすまない

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前に進んでいないと不安になるから、

努力するために努力している。

 

だから、
結果が出ないと、

前に進めないと、

必要以上に落ち込む。


「こんなに頑張ったのに…」


報われない努力のほうが多いもの、

それなのにいちいち落ち込んで面倒くさい。


努力しようがしまいが、

結果に責任をもつこと、

それを糧にすること、


できることなんてのは、

至ってシンプル、


努力をするのは大いに結構、

しかし努力をするために努力をしても根無し草、


毎日やるべきことをやり続けること、

課題はその中で自然と浮かんでくる。


それに黙々と取り組み続ければいい。


日々の充実感が足りないからって、

誇大なお題目を掲げる必要なんてない。


気がついたら自然と努力していた。

それが理想、

 

こだま

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「おはよう」といえば「おはよう」が返ってくる。

「ごめんね」といえば「ごめんね」が返ってくる。


その人のために何かをしても、

「ありがとう」が返ってこなければ、

その関係は破綻へと続く道、


きっかけなんて些細なこと、


当たり前のことが当たり前になって、

感謝の言葉が出なくなると、

少しずつ関係を蝕む。


してくれたことに対して、

感謝の気持ちを忘れてはならない。

感謝の気持ちを伝えることを忘れてはならない。


言葉の力、


人は不安になることが趣味だから、

言葉を与えてもらえないと、

マイナスな方向にばかり考えてしまう。


余計なことなど考えないで、

自然とこだますることができたならば、

悩みの多くは容易く解決できるのだろうな。


ただ、嫌なことをされたときには、

安易にこだましてはいけない。

一日の密度

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時間をどう積み重ねるか。


主体的に生きている人ほど、

その密度は濃くなる。


自分の選択に責任を持って、

うまくいってもいかなくても、

その結果を噛み締めて、


新しいことがあれば果敢に立ち向かい、

マンネリを感じると打開に向けて動き出す。

そうして日々をアップデートしていく。


経験を積み重ねることに喜びを感じたい。

そうすれば困難にも感謝できる。


時間は等しく過ぎていく。

それをどう使い、何に割り振るか。


新しいことに使うほど、

一日を鮮明に彩る。

結局、人は日常に適度な刺激を求めている。


夢だの希望だの、

そんなものにもう一度目を向けてみるのも、

悪くないのかもしれない。


そろそろ行動を変えないと、

時折感じる鈍い危機感、

ブログ100-300-1000の法則

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本を出している人気ブロガーさん曰くですが、

それぞれを超えるたびに、

大きくレベルアップする記事数とのこと、


100である程度の固定読者が生まれて、

300で検索エンジン経由のアクセスが増える。

1000で検索エンジンの1ページ目になる記事がちらほら、人気ブログ認定


だそうです。


もちろん自叙的な意味合いもありますが、

ブログを書くからには多くの目に触れて欲しいと願うもの、


150個目の記事、

まもなく連続更新日数100となります。


ひとまず300を目指して更新を続ける予定です。


少しずつ読者の方が増えてきました。

アクセス数も☆の数も目に見えて増えて、

本当にありがたいことです。


私見ばかりの拙い記事に、

いつも目を通していただきありがとうございます。

結婚していないことを驚かれる

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ここ数年そんなことが増えてきた。

周りから見れば落ち着いていて身を固めているように見えるみたい。


自分で言うのもなんだが、

気遣いができて、そこそこ女性からアプローチ(のようなもの)をされる。


まだまだ可能性があると喜ぶべきことなのか。


「奥さんも働いているんですか?」だとか、

「奥さんの分もどうぞ、」だとか、

「ますをさんの夫婦円満の秘訣は?」だとか、

「結婚していると思ってたー」なんて、


あまりプライベートを知らない人と話すとこんな様子、


結婚願望はあるし、

世話を焼いてくれる人はたくさんいるし、

実際に紹介された人に会ったこともある。

でも接する度に不信は募る。


女性不信がすぎる。

意識すると途端に臆病になる。


会った瞬間に結婚を予感する出会いなんてものは本当にあるのだろうか。

そのような感情は枯渇している気がする。


自分からたまらなく好きになることなどおそらくない。

曖昧なアプローチは信じられない。

もうむやみに傷つきたくない。


こじらせ過ぎて辛いよ。