「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「能力が高い」ということについて

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ある種の職人と呼べる人たち。

何十年も一つのことだけを磨き上げて、それを生業として生きている人たち。

 

一つの道を追求した先に辿り着く境地というものがあるのだろう。

芸術なんかも、そういった要素が必要だ。

その狂気に身を任せた末に身につけた技は、人を魅了する。

 

その反面で、自らの時間のほとんどを一つの道に費やした結果、「これだけしかできない」ということも珍しくない。

 

生活の多くは、支えてくれる別の誰かが担当して、本人はリソースの全てを技を磨くために使う。

それで生活が成り立っているうちは問題ないけれど、いくら本人の議場が高かったところで、環境が変わることで、それを生業とすることが難しくなることもある。

 

そこで初めて後悔したところで、もはやリカバリするとかは容易ではない。

詰まるところ、自らの人間性を磨くことを怠ってはならないのだ。

 

能力の高さだけで食べていくことには限界がある。

どれだけ能力が高くても、受け入れ難い人間性の持ち主であれば、安定的に仕事を得ることはできない。

 

人間性」も、ある意味では能力なのかもしれないけれど、特定のことを続けるだけで身につく能力ではない。

「生き方全て」がそこに紐づくのだ。

 

「能力が高い」

 

その言葉の指す「能力」には、少なからず「人間性」も含まれる。

そして、「人間性」という能力で最低限の基準を満たしていないと、そのほかの全てが台無しになる恐れがある。

だから、まず磨くべきスキルは人間性だと言えるのではないだろうか。

 

能力、能力、能力。

競争社会では、常に誰かに評価されて、その評価の高さで競争を繰り広げている。

しかし、人間の価値は、その評価で決まることはない。

 

どんな状況に身を置かれたとしても、自らの信念や断りを見失うことのない強さ。

それを身につけることが、人間性を磨くためのスタートなのかもしれない。

 

そんなことを考えた。