ある種の職人と呼べる人たち。
何十年も一つのことだけを磨き上げて、それを生業として生きている人たち。
一つの道を追求した先に辿り着く境地というものがあるのだろう。
芸術なんかも、そういった要素が必要だ。
その狂気に身を任せた末に身につけた技は、人を魅了する。
その反面で、自らの時間のほとんどを一つの道に費やした結果、「これだけしかできない」ということも珍しくない。
生活の多くは、支えてくれる別の誰かが担当して、本人はリソースの全てを技を磨くために使う。
それで生活が成り立っているうちは問題ないけれど、いくら本人の議場が高かったところで、環境が変わることで、それを生業とすることが難しくなることもある。
そこで初めて後悔したところで、もはやリカバリするとかは容易ではない。
詰まるところ、自らの人間性を磨くことを怠ってはならないのだ。
能力の高さだけで食べていくことには限界がある。
どれだけ能力が高くても、受け入れ難い人間性の持ち主であれば、安定的に仕事を得ることはできない。
「人間性」も、ある意味では能力なのかもしれないけれど、特定のことを続けるだけで身につく能力ではない。
「生き方全て」がそこに紐づくのだ。
「能力が高い」
その言葉の指す「能力」には、少なからず「人間性」も含まれる。
そして、「人間性」という能力で最低限の基準を満たしていないと、そのほかの全てが台無しになる恐れがある。
だから、まず磨くべきスキルは人間性だと言えるのではないだろうか。
能力、能力、能力。
競争社会では、常に誰かに評価されて、その評価の高さで競争を繰り広げている。
しかし、人間の価値は、その評価で決まることはない。
どんな状況に身を置かれたとしても、自らの信念や断りを見失うことのない強さ。
それを身につけることが、人間性を磨くためのスタートなのかもしれない。
そんなことを考えた。