「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「忙しさ」によって得ることのできる充実感

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今の私は忙しい。少し前から忙しい。

そして、年が明けても忙しさは落ち着く様子がない。

 

そんな状態に身を任せていると、不思議なことにそれが当たり前になってくる。

手持ち無沙汰な時間があると、何かできることはないかと探して、常に忙しくないと気が済まなくなる。

 

そうやって、良くも悪くも人は環境に流されていくのだ。

忙しい時は忙しい方向に、暇な時は暇な方向に進んでいく。

 

人は変化を嫌う生き物だから仕方がない。

だからこそ、望む習慣を身につけて、毎日望む方向に自分を進めるよう仕向けていくことは効果的なのだ。

 

私の忙しさは、私を望む方向へと進めているのだろうか。

実感としては、望む方向に進んでいる気がする。

むしろ、そう思わないとやっていけないのだ。

 

だから、半ば洗脳したように、私は忙しさを享受している。

それも良い。バイタリティのあることは人生を豊かにする第一歩だ。

 

何があっても主体性を失わない人、

その人が「人生の達人」だと思う。

 

その点では、バイタリティを身につけることで、「やらなければならないこと」プラスαを行うだけの余力を残せるようになる。

 

要は、忙しい環境に身をおいた経験がないと、自分がやりたいことをやるためのバイタリティを身につけることができないのだ。

だから、結果的に忙しい環境に身を置くと充実感を得やすくなる。

 

「忙しくないと気が済まない」

 

そうやって、どんどん忙しさにかまけていく。

今の私のスタンスは変わらない。

限界を超えてしまわないように、メンテナンスしながら忙しく過ごす。

 

その繰り返しだ。

これからもそうだろう。

 

また書きたいことがまとまらないな。

ここ最近は、校閲をする余裕もなく、ただ記事を書いたままに投稿している。

ブログを続けるためにブログを書いているのかもしれない。

この辺りのことを一度文章にまとめる必要がありそうだ。

 

結論は、忙しさに身を置くことで、長期的に主体性を身につけて、クオリティオブライフを上げることが可能となる、ということだろうか。

 

常に忙しくしていると、何かに追われながら生きているように思うことも少なくない。

しかし、それも長い人生の1ページと見れば、たくさんの経験を積ませてもらっていると考えられる。

 

前向きに捉えて生きるしかないのだ。