「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

言いなり人生

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蛍こい。

こっちの水は甘いぞ、

こっちの水は苦いぞ、

蛍こい。


何でもかんでも誰かの言いなり、

何を決めるにしても誰かの目ばかりを気にして、


誰の人生を生きているのだろうね。


自分の中に明確な基準がないから、

大事なことを決める時でも、

誰かに任せてばかりいたから、

だからそういうことになる。


どんなにそれが素晴らしいものであっても、

何かに、そして誰かに、

自分の人生を委ねてはならない。


口先だけでお題目を唱えていても、

それが誰かにやらされていることならば、

それに大した意味などない。


自分の人生に何を掲げて、

何を行動規範として、

誰と共に生きるのか。


何かを参考にするのは構わないけれど、

「心が震えるような経験」


そういうものを放棄してしまうと、

結局は「カタチだけ」なんじゃないかな。


涙で地を固めるのだ。

そこに自分の意思がないと、

涙を流すことはできない。


「泣くような思い」


きっとそれが試金石になる。

 

すぐに泣くようならば、

それは未熟な証拠、

だけれども成長できるという証拠でもある。


何度も涙を流せばいい。

枯れてしまうくらいに、

何度も、何度も、何度も、

涙を流せばいいのだ。


そして涙が枯れてしまったならば、

右足を少し前に踏み出してみればいい。

しっかりと大地を踏みしめると同時に、

その反動で自然と左足も前に出るはずだから、

 

「二足歩行」は次の一歩を踏み出すための進化、

四足歩行だと立ち止まってしまう。

人類の進化は立ち止まることを許してはくれないのだ。

 

ゆっくりと、

だけれども着実に、

自分だけの道を進むのだ。


ステレオタイプではない、

自分だけの道を進むのだ。


心を震わせるような経験もしないで、

泣くような思いもしてこないで、

誰の人生を生きているんだか。


この道は誰のものでもない。

私だけのもの、


そう胸を張って進んでいける。

そういう道を歩みたい。


誰かが舗装した道だけを、

のうのうと死ぬまで歩き続けるなんて、

私はまっぴらだ。

 

惨めさの象徴

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「原則出勤は禁止」

 

これで私の一番のストレス要因を遠ざけることができる。

このひと月でそれは私にとって良い変化を生み出すのかな。

 

なんで私があのクソ女をここまで憎んでいるのかというと、

彼女が私にとって「惨めさの象徴」だからだ。


向こうは「嫌われている」とは思っていても、

「死ねばいいのに」と思うほど憎まれているとは思っていないだろう。


私の女性関係がうまくいかないたびに、

「憎しみ」は積み重なる。


あの子には全く関係のないことでも、

あの子の上に少しずつ積み重なる。


そして気がつくと、

私はあの子を「惨めさの捌け口」として使っているのだ。

 

だから些細な不誠実さやバカさを目にするだけで、

どうしようもないほどイライラする。


「いい迷惑」


向こうからすれば完全にいい迷惑だな。


二股をかけるようなクズだ。

あからさまに避けたり、

かと思えば媚びてきたり、

取り巻きに言いふらして私の評判を下げようとしたり、

いちいち神経を逆撫でてくる。

 

衝動的で思慮が浅く極端な行動、

そのくせ価値判断の基準は周りと同じかどうか。


見た目だけはいいから、

おたおたしていたら誰かが何とかしてくれると思っている。

そうやって生きてきたのだろう。


もはや何をされてもイライラする。

存在自体がストレスなのだ。


それでも、

死ねばいいと思うほど憎いなんてどうかしている。

 

「憎しみ」って、

こじらせると怖い。

 

こんなに人を嫌いになったことはない。

こんなに人に苦しめられたこともない。

こんなに人に傷つけられたこともない。


それは私にとって彼女が特別だったってこと、


だからこそ、

「惨めさの象徴」

好意が叶わない、

その反動で嫌悪感が生まれる。


もう既婚者だ。

正直どうでもいい。

こんなにイライラする理由なんてない。


きっと私の幼稚な正義感がそうさせる。

「あんなことをしておいて幸せそうにしやがって」って、


自分の掲げてきた主義に反するものが、

幸せそうにしているのが許せないのだ。


きっとそれだけ、

 

きっかけはあの子でも、

ここまでこじらせたら、

もう私のせいだ。

 

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「幼稚な正義感」


それを捨てることができれば、

この「憎しみ」からは解放されるのかな。


ある意味では試練だ。

昔から私には独善的なところがある。

 

「自分が正しい」って合理性を盾にして、

それを相手に押し付けるところがある。


そして今の私の価値観では、

それは私自身の嫌いなところでもある。


乗り越えられるかな。


「三つ子の魂、百まで」


そう言うけれど、

まだまだこれからでも、

変わることはできるのかな。


「運命」ってやつは本当に嫌なやつ、


弱点ばかり責めてくる。

コンプレックスばかりを刺激してくる。

いつまで向き合えばいいのだろう。


「もうやめてあげて!ますをのライフはゼロよ!」


そうやって身を挺して止めに入ってくれる、

そんな素敵な女性は現れるのかな。


結局はあのクソ女が、

私のことを「不安を解消するための道具」にしたように、

私も彼女のことを「惨めさの捌け口」として使っているのだ。


「惨めさの象徴」


それを遠ざけようとするから、

いつまでも目の前から消えてくれない。


そろそろ幼稚な正義感を手放して、

大人になる時が来たのかな。

 

私が私ではなくなってしまっても、

新しい私に生まれ変わらなければならない。


「どんな形であれ、

好きだったあの子が幸せならば、

それでいいじゃないか」


たまにドラマとか映画で出てくるあれ、

 

本当にそんな聖人はいるのかな。

いるとすればきっと素敵な出会いと別れを、

幾度となく経験してきたのだろうな。

 

そんな「心がイケメン」


それは私にはどうしたってなれないもの、

これから先に「幾度となく」なんて、

もう経験できないだろう。

 

もはや手遅れなのだ。

恋愛ってもっと経験してくるべきものだったのだ。

私にはそれが足りない。

 

だけれども、

とりあえずは、

手持ちで勝負するしかないのだ。

 

例え敗色濃厚だとしても、

それが私の生きてきた道なのだから、

 

処女こじらせ女

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このフレーズを書いて、

真っ先に思い浮かぶのは、

ドラマ『逃げるは恥だが役にたつ』で、

石田ゆり子さん演じる主人公みくりの叔母だ。

最後はだいぶ年下のイケメンと結ばれたな。

 

仮に私が「30代処女こじらせ女」で、

私のブログタイトルが「30代処女こじらせ女の記録」だとしたら、

おそらくアクセス数は今の倍以上になるだろう。


それだけ「童貞」と「処女」の価値は違うのだ。


はじめに断っておくが、

いい年して相手に処女性を求めているわけではない。

あくまでも「どちらかといえば」と言う程度だ。


だけれども、

私に結婚を考えてお付き合いする相手ができたならば、

例え相手の年齢がいくつであっても、

「処女」の方がいいと思う。


それは私が未経験だと言う補正もいくらかあるだろうけれど、

世の男性には少しはこの気持ちがわかると思う。


しかし逆はどうだろう。

「どちらかといえば」であったとしても、

結婚相手は「童貞の方がいい」と言う女性は稀ではないだろうか。


どこかでうまい例えを見たことがある。

 

「一度も陥落していない城は頼もしく見えるが、

一度も城を落としたことのない兵士は頼りない」

 

なるほどと思った。

これが世の中の感覚なのだとすれば、

「童貞」には価値がないのだ。


「処女」は捧げるものだけれど、

「童貞」は捨てるもの、


この価値観の違いってなんだろう。


男には求められる男の役割があって、

それを果たせないと恥ずかしい存在なのかな。


ジェンダーフリーなんて形ばかり、

結局は多数派が求めるものに価値がある。


なんだか虚しいな。


だけれども、

去年の夏に好きになった女性、


私が「もう10年以上も彼女がいないよ」って、

「だけれどもその分、一途だよ」と言う言葉を付け加えてカミングアウトすると、

「えー、何それいいじゃん。いっぱいデートしようよ」

って、

そう言ってくれた。


それから「いっぱい」どころか、

一度もデートをすることなくフラれたのだけれども、


ただの口から出まかせだったのかもしれないけれども、

「そう思ってくれる人もいるんだ」って、

前向きに捉えるしかないのかな。


こじらせすぎて辛いよ。

 

だけれども、

ないものはないのだ。

 

「ありのままの私を丸ごと受け入れてくれる女性」

 

そんなものに憧れを抱いているうちは、

うまくいかないのかな。

 

コンプレックスと向き合うのって辛いこと、

だからそれを肯定してくれる相手を探したがる。

 

だから私は童貞なのだ。

 

ついにジンベエが仲間に!

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今週のジャンプで、

ついに麦わらの一味に海峡のジンベエが加わりました。


ビッグマムに追われる中で殿をつとめて、

「必ず戻ってくる」と交わしたルフィとの約束、


これで10人目の仲間です。


ルフィが船出当初「10人は仲間が欲しいなぁ」と語っていたことから、

確かルフィに加えてもう一人、

 

合計11人の一味になる予定だと、

どこかで読んだ記憶があります。

 


悪魔の実の法則からいくと、

ルフィ(ゴムゴム56・56)

チョパ(ヒトヒト110・110)

ロビン(ハナハナ87・87)

ブルック(ヨミヨミ43・43)

一味の食べた実で1〜10を網羅しそうという例のやつ、

残っているのは2と9、

 


最有力はバーソロミューくま(ニキュニキュ29・29)

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そして対抗で錦えもん(フクフク29・29)

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他にもニクニク(肉肉)だとか、クニクニ(国国)だとか、

そんなのもあるかもしれません。

 


それにしてもジンベエ、

こういう仁義キャラは好きなのですよね。

不器用で真っ直ぐ、

だからこそ響く言葉、

 

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エースを失ったルフィにかけた言葉は名言です。

私もことあるごとに思い出しています。


ここで来たからには大活躍するでしょう。

これからのジンベエが楽しみですね。

 

自分の人生を生き切る覚悟

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私のことをひどく傷つけた人がいる。

そして私がひどく傷つけた人がいるかもしれない。


いつだってそう。

被害者は「傷」をいつまでも覚えているけれど、

加害者は「傷つけたこと」を時とともに忘れてしまうのだ。


「都合の悪いことは消えていく」

人間の脳はご都合よくできているもの、


だけれども、

ふとした時に思い出す。

そして自分の不誠実さに愕然とする。


そんな瞬間がある。


傷つけても、

傷つけられても、

まともな人間ならば、

どこかに「負い目」を背負うことになる。


人って虚しいもの、


大事に思っていても、

自分の不安や欲望を抑えられずに、

誰かを傷つけて、

大事に思う気持ちによって、

誰かに傷つけられて、


生きるって、

その繰り返しだ。


負い目があっても、

癒えない傷があっても、

「生きる」しかない。


生きて、生きて、生きて、

「生きる」しかない。


自分の人生は自分のもの、

誰かが代わりに生きてくれるわけではないのだ。


そして同じように、

人の人生はその人のもの、

自分が代わりに生きるわけにはいかない。


どんなに大事に思っても、

どんなに負い目を感じても、

死を願うほど憎んでも、

自分の人生は自分のもので、

人の人生はその人のもの、


それを変えることはできない。


それならば、

覚悟を決めないといけないな。


傷ついても、

負い目を抱えても、

自分の人生を生きる。


そんな覚悟を決めないといけないな。


「関わりたくない」


そう思うことは仕方がないけれど、

それを「憎しみ」の糧にしてしまったら、

誰かに引き摺られた人生になってしまう。


私は私の人生を生きるのだ。

きっとその覚悟が足りなかった。


少しずつでいい。

私は私の人生を生きる。


「憎しみ」に支配された人生なんて、

もう嫌だ。

 

私の告白遍歴

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私がこれまで生きてきて、

明確に「付き合って欲しい」って、

気持ちを伝えた回数は4回だ。


一度目は二十歳の頃の初恋の人、

二度目は元カノ、

三度目は前の職場の同期、

四度目は去年の夏だ。


二度目以降はデートを重ねた上の試み、

十分な勝算があった。


アプリを除いて、

デートをした相手を加えると、

10人くらいだろうか。

決して少なくないように思う。


女性と日常的に接する分には問題ないし、

普通に生活していても年に一人か二人からは、

アプローチらしきものを受けるから、

自分で言うのもなんだが、

私はモテなくはないのだろう。


だけれども、

関係を進めるとなると、

ほとんどうまくいかないのだ。


「決め手に欠ける」


側から見ると優しくて真面目で話しやすい。

だけれども二人で時を過ごしてみると物足りない。

そんな男なのだろう。


少し前までの私の心の支え、

「自分にとっての世界で一番素敵な女性と結ばれるために、

こんなにも奇跡的に恋愛がうまくいかないのだ」


今思えば噴飯物だ。


私は女性というものを神聖視して、

女神様か何かと勘違いして、

救いを与えられるのを待っていたのかな。


女性だって生身の人間、


人を自分の不安を解消するための道具にする、

そんなゴミ屑女もいれば、

この時期に職場で飲み会を企画する、

頭空っぽのバカ女もいれば、

二股かけた末にどちらともうまくいかなくて、

居場所がなくなる救いようもない動物みたいな衝動的女もいる。


全て同一人物なのだけれど、


これから先、

私がどうしようもなく好きになる女性って、

目の前に現れるのかな。


「とりあえず」


私にはきっとそれができないのだ。

いい加減な気持ちで関係を先に進めることができない。

だからここまでこじらせている。


条件とか容姿ではない。

本能と気持ちに従うことにしよう。

そこから始まることってあるはず、


これから進む私の道のりには、

隣に並んで手を取りながらいっしょに進む相手って、

存在するのかな。

 

「奇跡的にうまくいかないことばかり」

 

だけれども必然なのかもしれない。

私の心がたまらなく女性を求めていないのかもしれないな。

 

「とりあえず」

 

それが伝わってしまったら、

相手は身を引くのは当たり前、

きっと恋愛に対する私の熱量が足りないのだ。

 

「なんで結婚したいの?」

 

そろそろお年頃だから、

経験を積みたいから、

周りがどんどん行ってしまうから、

 

そこら辺に転がっている婚活女と変わらないな。

「相手」ありきではなく自分本意だ。

 

たまらなく好きな相手ができて、

そのままの関係ではいられないから、

付き合って結婚したい。

 

そうでなければ本末転倒、

どうやら私は「結婚したい病」に罹っていたようだ。

 

「言語」の先にあるもの

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私に見える世界は、

網膜を通して移す像、

私の脳がそれをイメージしたものだ。


私から見える「赤い」と、

あなたに見える「赤い」は、

まったくの別物かもしれない。


だけれども、

赤いものを見て、

共に「赤い」と判断できるということは、

「経験」を共有しているから、


トマトは赤いもの、

イチゴは赤いもの、

血の色は赤い。


生きる過程でそれを学習するのだ。


私にしか見えない世界、

脳が作り出したイメージ、

私が作り出して他の誰にも見えない。

だけれどもそれを誰かと共有できる。


「言葉」というものは、

そのために生まれてきた。


「伝える手段」


言葉のほかにも色々とある。


身振り手振りや、

文章に絵文字や顔文字、


音楽や絵画に映画、

芸術だって、

それに当たるだろう。


最もシンプルかつ、

手軽に使える「伝える手段」

それが言葉だ。


文化が違えば言語も違う。

常識も価値観も違う。

それは同じ経験を共有していないから、


だけれども世界の距離は近づいている。

テクノロジーが経験の共有を進めるのだ。


世界中の出来事は逐一共有されて、

言語の差も埋められつつある。

 

私たちは世界中が新型コロナウイルスに苦しめられていることを知っているし、

少し調べれば各国の状況を誰もが詳細に把握できる。

それってすごいこと、


日本ではマイノリティでも、

他の場所では違うかもしれない。

そういうことも少なくないだろう。

 

そうやって文化を越えて、

「経験」を共有できる、

いくつものコミュニティが出来上がる。


「経験」は言語の壁を越えて「共感」を生む。

そうやって人と人とはつながるのだ。

 

これから先の未来って、

「経験」がものをいうんじゃないかな。

 

どのような経験をして、

何を感じて、誰と共感できるのか。

そして何を掲げて生きているのか。

 

言語の壁はない。


隣にいる人とは分かり合えなくても、

地球の裏側にいる人とは分かり合える。

そういうことだってあるだろう。


多くの経験をして、

たくさん心を震わせて、

たくさんの共感に触れて、

そうしてつながりを広げていく。


だから私はまだまだ色々な経験をしたい。

 

傷ついて打ちのめされて、

立ち上がることを諦めてしまいそうになる。

そんなことばかりだけれども、

まだまだ経験が足りない。


心を震わせた数だけ、

世界はクリアに見えてくる。


まだまだ私には、

世界が曇って見えているのだ。