「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

器を大きくするということ

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理不尽な目にあっても、

さほど心は動かなくなった。

主張すべきことは主張するけれど、


結局は自分に力があるかどうか。


権力や小手先の技術ではない。

人間力」って名前の力があるかどうか。


擦り切れて心が麻痺してしまったのだろうか。

それとも「少しのことでは傷つかない」

そんな強靭さを手に入れたのだろうか。


そのどちらかはわからないけれど、

あまり周りの目ってやつを気にしなくなったのだ。


「器の大きさ」


人の善意も悪意もたくさんため込んで、

それを消化するから味に深みが出る。

人間味という味に、


少しばかりの善意や悪意しか受け止めないで生きていると、

薄味の人間になってしまう。

 

たくさん喜ぶことで、

たくさん傷くことで、

コクのある深い味わい。

そんな味を手に入れるのだろう。

 

私はそんな生き方を続けたい。


誰のためでもない。

自分のために、

自分の理想のために、


たくさん傷ついて、

病気までして、

たくさん助けられて、

支えてもらって、


私の器には入りきらないだけの、

たくさんの気持ちを迎え入れたから、

少しは器が広がって大きくなったのかな。


裏技なんかない。

 

きっと地道に心を動かして、

善意や悪意を心で消化していく。

それが器を大きくする唯一の方法なのだ。


気が付いていないだけで、

世の中はたくさんの善意と悪意であふれているよ。


それを受け止めるのも、

受け流すのも自由、


急に受け止めすぎたら壊れてしまうし、

受け流しすぎたら、

幸せを掴むチャンスまで逃してしまう。

 

だから受け止められる容量を増やすのだ。

たくさんの気持ちを理解するために、


それがきっと、

「器を大きくする」ってこと、


もうこれ以上、

チャンスを逃して傷つきたくないな。

だけれども傷つくことも器を大きくするチャンス、


どうやら世界は、

「幸せになる」か「成長する」か、

そんな素敵な二択でできているみたい。


捉え方次第だ。

こんなに素晴らしい世界ってないな。

 

中島みゆき『ファイト!』

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自粛ムードでコロナ疲れ、

イベントはどれも中止、

 

おそらくアーティストの人たちも埋まっていた予定に穴ができるのだろう。

音楽番組ばかりやたらとやっていた。

 

中島みゆきさんの『ファイト!』

 

先日のCDTVライブライブ、

その中でリトグリがこの曲を歌っているのを聞いてグッと来た。

 

満島ひかりさんのCMは記憶にあったけれど、

多くのアーティストがカバーしているみたい。

 

福山雅治さんから、

ミスチル桜井和寿さん、

マッキーに大竹しのぶさんまで、


もう26年も前の曲らしい。

まさに歌い継がれる名曲、

 

だいぶ重めの歌詞とは裏腹に、

子気味のいい「ファイト!」の掛け声、

なんだかクセになる。


「ファイト!

闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう

ファイト!

冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ」


それぞれの闘いがあるのだ。

それを笑うのはいつだって闘わない奴、


ぬるま湯につかりながら時間を浪費してさ。

挑戦の末に失敗した人たちを笑いものにする。


そんなデジタルモグラたち、


悩みのない人生は嘘だ。

それって地に足つけて生きているとは言えないから、


打ちのめされることもある。

無様で哀れな時もある。


そういう経験をしてこないで、

人生の醍醐味なんて味わうことができるのかな。


かっこ悪くてもいい。

「すごい」なんて思われなくていい。

自尊心を周りの評価から解放してあげなよ。


その先に見えるものがきっと、

本当に大事なもの、


それ以外はいったん水に流して、

初めからスタートすればいい。

何度でも何度でも、

 

コロナ疲れなんて吹き飛ばせ!

 

 

とてもいい声で歌っている人を見つけた。


 

タラちゃんです〜

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「皆様に重大なお知らせがあります。

 

実はブログを書いている僕は

「元・童貞こじらせ男ますを」の息子なのです。


父がことあるごとに話す昔話や、

その時の感情を想像して、

こうしてブログにまとめていました。


父は今では幸せな家庭を築き、

僕が生まれました。

母とは大恋愛でした。


母と出会うまでの父は、

それはそれは悩んだそうです。


「真実の愛を見つける」って、

そんな中二病をこじらせた中年を続けて、


だけれども、60を超えた今でも、

父と母は二人で出かけるといつも手を繋ぐような、

そんな仲のいい夫婦です。


そんな両親の姿を見て育ったものですから、

僕も母のような素敵な相手を見つけることができました。


僕は父とは違って運命の人にいち早く出会えたので、

20代のうちに子供まで生まれました。

「ますを」は今では孫を持つおじいちゃんです。

 

このブログが父に見つかったら、

怒られてしまうかなー。

 

これからは「たらを」として、

ブログのスタイルは変えずに継続しますので、

引き続きお付き合いいただければ幸いです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんて妄想、


愛し愛されて、

子宝に恵まれて幸せな家庭ならば、

なお良い。


そんな人と結ばれたい。

そんな家庭を築きたい。

 


「嘘から出た誠」を願って、


ハッピーエイプリルフール、

 

 

完全に去年の焼き直しでしたー。

 

tureture30.hatenadiary.jp

 

前からの読者様はタイトルだけで気が付いたかもしれませんね。

 

曇っているな

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ここ最近の私の心を、

空模様で表現すると「曇り」だ。


決して晴れ間は覗かない。

かといって雨が降っているわけでもない。


そう、曇りだ。


時折どこかでゴロゴロと雷の音が聞こえる。

くすぶった感情を発散することもできずに、


だけれども雨は降らない。

いっそのことすべてを洗い流してくれればいいのに、


気持ちを発散できる場所、


年を取るにつれて、

そういう場所はどんどん減っていく。


雨に打たれたい。

冷たくて大粒の土砂降りの雨に、


「私はこんなに惨め」って、

そんな感傷に浸ることができるから、


あまりにもふがいない時って、

自分を痛めつけたくなる。


自分のことを嫌いで嫌いで、

許してあげることができないから、

 

だから、

「痛み」を免罪符にして、

許されようとするのだ。

 

そして、

この痛みを忘れないようにって、

「痛み」を体に刻み込むのだ。


「自分が許せない」


結局はそういうことなのかな。


少しばかりの不誠実さをいつまでも許せない、

そんな自分を許せないふがいなさ、


私がナルシストで、

理想の世界を持っているものだから、

その美学に反するものを許せないだけ、


駄々をこねている子供と同じだ。


自身の暴力性と向き合うって、

自分でその醜さをあぶりだすって、

とてもつらい作業、


ふと空を見上げると、

今日も曇っているな。

 

騙されたとしても裏切られたとしても憎しみを向けるだけ無駄

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人は損することが苦手な生き物、


得したことはあまり覚えていなくても、

損したことは忘れられないのだ。


だから「憎しみ」が生まれる。


少なくとも本人からしてみたら、

不当な扱いを受けて損をさせられた。

そんな感情に支配されるのだろう。


だけれども少し考えてみると、

「憎しみ」に支配されていたら、

そうしている分だけ損をすることになる。


好きでもない相手のことを監視して、

不幸にならないかって期待して、


不毛な努力、

無駄な消耗、


「憎しみ」が生み出すものって、

そういうものしかない。


それならばさっさと手放すこと、

「感情の整理」なんて小難しいことを考える暇があるならば、

少しでも自分を気持ちよくさせてあげればいい。


「ちゃんとしていないとダメだ」


そうやって努力することは尊いけれど、

それを人に強いるようになったら、

どんどんおかしなことになる。


何も「隣人愛」を説きたいのではない。

裏切られ続けるなんてまっぴらだ。

 

「騙されたり、裏切られたり」


そういう目にあったら、

「憎しみ」なんて捨ててしまって、

それと同時にその関係も捨ててしまえばいい。


表面だけ繕って、

損得だけで繋がって、

いちいち感情を動かすことはしない。


「自分とは全く関係のない人」


関わらないといけないところだけ、

そこだけは我慢して、

あとは感情を殺せばいい。


嫌いな奴に「憎しみ」を向けるなんて、

わざわざ憎んでやることなんて、

無駄な労力だから、


憎みもしないけれど、

できるだけ関わりもしない。


それが嫌いな相手との正しい関わり方なのかな。

 

私は自分から人を好きになれないのかもしれない

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一度だけある。


大人になって、

自分から女性を好きになったことが、


思えばあれが初恋だった。


二十歳の時のバイト先、

一つ下の女の子、


一目惚れだった。

その日から毎日が楽しくなった。


連絡先を交換して、

一緒に帰るようになって、

思いを伝えたけれど、

「今はそういう時期ではない」

そう断られてしまった。


それからは、

人を好きになる心って、

枯れ果ててしまったのかな。


いつだってアプローチは向こうから、


「もしかして…」

そう思うところから恋が始まる。


だから気持ちを固めるのに時間がかかる。

半年から年単位で、


そして固めた頃には相手は冷めている。

そうやってうまくいかない。

その繰り返し、


少し前までは、

どんなに綺麗な女性を見ても、

「自分と関係が進むはずなどない」って、

そう思っていたものだから、

心が揺さぶられることはなかった。


だけれどもここのところは、

期待してしまうようになった。


「謎のモテ期」を経たせいで、


先日、職場の女性から言われたこと、

身近に結婚話があって、

そういう話題になった時だった。


私が「僕は結婚できると思っていませんよ」と話すと、

「ますをさんが行動起こすのを待っている女性はたくさんいると思いますよ」って、

そんなことを言われた。

 

「世界中の女性を悲しませないために結婚できないんですよ」って、

ローランドばりの一言が頭を過ぎるも、

言葉にするのをやめた。

 

なんだか女性からそんな言葉をもらって、

それだけで少し救われて、

少しだけ期待してしまう自分がいる。


女性は直接的な言葉はくれない。

態度で匂わすだけなのだ。

それを勘違いして傷ついて経験もある。


私みたいなこじらせ男には、

難易度が高すぎる。


「気になっている」ならば、

「気になっている」ってそう伝えてよ。


そんなヘタレ男、

乙女すぎて話にならない。


加えていい感じになっても、

少しでもダメかなと思うと身を引いてしまう。


「好き」が先行していないから、

「何がなんでも」って、

そういう気持ちがないのだ。


世のカップルたちって、

どうやって一緒になっているのだろう。


もはや私にはそれがわからない。


白馬に乗った女騎士様を待っていても、

そんな稀有なジョブの女性には巡り会えないのかな。

 

ジェンダーレス」って言ったって、

多数派の求める「男の役割」ってものがあるのだ。


そんなことを考えている暇があるならば、

乗馬の練習から始めないといけないな。

 

「好き」って思った人に巡り会えた時に、

男らしくアプローチするために、

 

600日連続更新

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昨日の記事で600日連続更新となりました。

恒例なので変化を綴ります。


【500日からの変化】

・さらに出会いを重ねてどうでも良くなった。

・条件ばかりにこだわるのがバカらしくなった。

・新型コロナの影響で外出の機会が減った。

・体重が落ちた。

・ランニングを再開した。

・アニメばかり見るようになった。

・出張が続いた。

・仕事が忙しかった。

・甥に懐かれた。

・一度だけときめく出来事があった。

・周りの結婚ラッシュ、


改めて振り返ってみると、

前の100日よりは順調のようです。

小康状態と言ってもいいでしょうか。


休日は引きこもることが増えたので、

ストレス要因が仕事に凝縮されて、

発散することが容易なのかもしれません。


とりあえず目標としていた600日、

率直な今の気持ちは700日まで続けようかな、

というところです。


ここ最近は連続更新の100日を区切りにしています。


ここでブログに対する気持ちが後ろ向きならば、

連続更新は辞めようと思っています。


私のブログは雑記もいいところで、

テーマは「私と世界との関わり方」


公序良俗に反しない限り、

何も縛りはありません。


今のところは、

更新を続けることをしんどいとは思いませんが、

続けることに対する「意味」を探してしまう自分がいます。


ありがたいことに、

読者様は950を超えて1000まで見えてきました。


どこかで調査した方の記事を読んだ記憶があります。

1000人以上の読者様を抱えるはてなブログって、

確か上位1%らしいです。


本当にありがたいことです。


皆さまにご覧いただくこと、

文章を通じて交流させていただくこと、


気持ちを吐き出すよりも、

今ではそっちの方が私の中での比重は大きいのかもしれません。


だから700日、

次はそこを目指して続けたいと思います。


700日連続更新のその日は7月の中旬、

私に取って大きな節目を迎えます。


キャッチに書いた、

「春よ、来い」

ユーミンのあの名曲です。


このコピーは、

2年前のブログ当初から変わりません。


「私に春は来ていない」と、

少なくとも私は感じているということです。


このコピーが更新される日は来るのか。


これまでは最愛の伴侶を得ることが、

「春の訪れ」と思っていました。


だけれども私の「春」は、

それだけではないのかもしれません。


どのような形であれ、

「春の訪れ」を目指して、

生きていきます。


いつもご覧いただき、

コメントやスター、ブックマークまでいただき、

本当にありがとうございます。


これからも気が向いたらお付き合いください。