蛍こい。
こっちの水は甘いぞ、
こっちの水は苦いぞ、
蛍こい。
何でもかんでも誰かの言いなり、
何を決めるにしても誰かの目ばかりを気にして、
誰の人生を生きているのだろうね。
自分の中に明確な基準がないから、
大事なことを決める時でも、
誰かに任せてばかりいたから、
だからそういうことになる。
どんなにそれが素晴らしいものであっても、
何かに、そして誰かに、
自分の人生を委ねてはならない。
口先だけでお題目を唱えていても、
それが誰かにやらされていることならば、
それに大した意味などない。
自分の人生に何を掲げて、
何を行動規範として、
誰と共に生きるのか。
何かを参考にするのは構わないけれど、
「心が震えるような経験」
そういうものを放棄してしまうと、
結局は「カタチだけ」なんじゃないかな。
涙で地を固めるのだ。
そこに自分の意思がないと、
涙を流すことはできない。
「泣くような思い」
きっとそれが試金石になる。
すぐに泣くようならば、
それは未熟な証拠、
だけれども成長できるという証拠でもある。
何度も涙を流せばいい。
枯れてしまうくらいに、
何度も、何度も、何度も、
涙を流せばいいのだ。
そして涙が枯れてしまったならば、
右足を少し前に踏み出してみればいい。
しっかりと大地を踏みしめると同時に、
その反動で自然と左足も前に出るはずだから、
「二足歩行」は次の一歩を踏み出すための進化、
四足歩行だと立ち止まってしまう。
人類の進化は立ち止まることを許してはくれないのだ。
ゆっくりと、
だけれども着実に、
自分だけの道を進むのだ。
ステレオタイプではない、
自分だけの道を進むのだ。
心を震わせるような経験もしないで、
泣くような思いもしてこないで、
誰の人生を生きているんだか。
この道は誰のものでもない。
私だけのもの、
そう胸を張って進んでいける。
そういう道を歩みたい。
誰かが舗装した道だけを、
のうのうと死ぬまで歩き続けるなんて、
私はまっぴらだ。