しばらく日常から離れて遠出していたものだから、
なんだか、日常に戻ってからの違和感が強い。
戻ってきたら、家に妻がいる。
それは初めての経験だった。
私の生活は、前とは変わったのだと改めて感じる。
非日常を通して、日常のありがたさを感じるというエピソードはありきたりだけれども、
私の場合は、非日常を通して、日常の変化を実感した。
少しばかり、新しい生活に疲れていたのかもしれない。
しかし、非日常から戻ったところが、私の日常なのだと感じることで、私は今の日常を受け入れることができたのだろうか。
変化に次ぐ変化。
私の生活は、落ち着くことなく動き続けている。
家の方が落ち着くかと思ったら、急に遠出の機会が増えた。
私の生活が落ち着くのは、いつの日になるのだろうか。
もはや、私の人生は、落ち着く暇がないのではないかと思うほどだ。
平均的な年齢での結婚からは少し遅れた。
その分、今はそれに追いつくように駆けずり回っているのだろう。
私のモラトリアムは終わった。
ゆっくりと流れていた時は、加速していく一方だ。
「見える景色」
あまりに見える景色に変化がありすぎて、
私には変わりゆく景色を楽しむ余裕さえない。
気がついたら、随分と歳をとっていて、浦島太郎のようになっているのかもしれない。
しかし、それが正しい時間の使い方なのかもしれない。
目に見える資産。目に見えない資産。
私は人生を通して、それらを積み上げていかなければならない。
まだまだ先のある人生だ。
少しばかり余裕を持って、やるべきことを着実にこなしていこう。
着実に、コツコツと。その繰り返しなのだ。
人生というものはきっと、その繰り返しでできているのだ。
目の前のことに精一杯で気が付かなかったけれど、
気がつくと、見える景色は大きく変わっている。
たまには、顔を上げて周りを眺めてみるのも悪くはない。