新婚旅行以来だろうか。
とは言っても、そこまで前の話ではないのだけれども。
仕事で少し遠出している。
いつもとは違う環境に身を置いて、
いつもとは違う流れの時間を過ごす。
それだけで少し、心持ちは変わってくる。
停滞感に包まれている時は、
その変化を好意的に捉えることができるけれど、
日常が忙しなく動いている状況では、さらなる変化を好意的に捉えることができない。
そう感じていたけれど、案外そんなことはなく、
非日常に身を置くことの効果は、少なからず私の心を高揚させる。
それに気がつくことができただけでも、
私に取って、この出張は意味のあるものなのだろう。
思えば、落ち着いて自分を顧みる時間を取れていなかったのかもしれない。
移動の時間中、私は私の時間を取ることができた。
それだけでも、いつもとは違う。
「違う」ということは、経験を積むことができるということ。
私がこの世界のことを、より多く知ることができるということなのだ。
「知的好奇心」
今や、人間の三大欲求である生理的欲求に迫るほど、人の知的好奇心は肥大化している。
それによってホモ・サピエンスが生き残ったとの見方が強いが、人はこれから先も、さらに知的好奇心を肥大化させていく必要があるのだろうか。
もはや、十分なくらいに文明は発達して、これから先の領域は、蛇足なのではないかと思うほどだ。
私はよく、人類の行く末に思いを馳せた記事を書くけれど、それは私自身が、人類の未来に期待しているからなのか、それとも期待をしていないからなのか。
それはわからない。
まだまだ人類は先に進む必要があるのだろうか。
「人は人生に意味を求めている」
より先に、より便利に、これからも世界を加速させていくことで、それを「進化」であると信じ込んで生きていく。
果たして、それを「進化」と言い切ることができるのかは、誰にもわからない。
それでも、世界は加速していく。
まるで、それが正義だとでも言わんばかりに。
効率の良い仕組みを作り上げて、それについて行けない人種は淘汰されていく。
果たして、それが正解なのだろうか。
私は、文明の利器に身を預けながら、そんなことを考える。
いつもとは違う環境というものは、
いつもとは違うことを考えさせるのだ。
そうやって、私は加速していく世界を否定も肯定もせずに、今日も生きていく。
何かを評価したがっているだけなのだ。