「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

少し遠くへ

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新婚旅行以来だろうか。

とは言っても、そこまで前の話ではないのだけれども。

仕事で少し遠出している。

 

いつもとは違う環境に身を置いて、

いつもとは違う流れの時間を過ごす。

それだけで少し、心持ちは変わってくる。

 

停滞感に包まれている時は、

その変化を好意的に捉えることができるけれど、

日常が忙しなく動いている状況では、さらなる変化を好意的に捉えることができない。

 

そう感じていたけれど、案外そんなことはなく、

非日常に身を置くことの効果は、少なからず私の心を高揚させる。

それに気がつくことができただけでも、

私に取って、この出張は意味のあるものなのだろう。

 

思えば、落ち着いて自分を顧みる時間を取れていなかったのかもしれない。

移動の時間中、私は私の時間を取ることができた。

それだけでも、いつもとは違う。

 

「違う」ということは、経験を積むことができるということ。

私がこの世界のことを、より多く知ることができるということなのだ。

 

「知的好奇心」

 

今や、人間の三大欲求である生理的欲求に迫るほど、人の知的好奇心は肥大化している。

それによってホモ・サピエンスが生き残ったとの見方が強いが、人はこれから先も、さらに知的好奇心を肥大化させていく必要があるのだろうか。

 

もはや、十分なくらいに文明は発達して、これから先の領域は、蛇足なのではないかと思うほどだ。

 

私はよく、人類の行く末に思いを馳せた記事を書くけれど、それは私自身が、人類の未来に期待しているからなのか、それとも期待をしていないからなのか。

それはわからない。

 

まだまだ人類は先に進む必要があるのだろうか。

「人は人生に意味を求めている」

 

より先に、より便利に、これからも世界を加速させていくことで、それを「進化」であると信じ込んで生きていく。

果たして、それを「進化」と言い切ることができるのかは、誰にもわからない。

 

それでも、世界は加速していく。

まるで、それが正義だとでも言わんばかりに。

 

効率の良い仕組みを作り上げて、それについて行けない人種は淘汰されていく。

果たして、それが正解なのだろうか。

私は、文明の利器に身を預けながら、そんなことを考える。

 

いつもとは違う環境というものは、

いつもとは違うことを考えさせるのだ。

 

そうやって、私は加速していく世界を否定も肯定もせずに、今日も生きていく。

何かを評価したがっているだけなのだ。