アニメ『推しの子』の第六話「エゴサーチ」。
どうやら炎上しているらしい。
事の発端は、恋愛リアリティショーを元に自ら命を絶った女性の母親から抗議があったことのようだ。
話の内容は、まさにこの事件のオマージュのような展開。
恋愛リアリティショーに出演した少女が、爪痕を残すために頑張った結果、視聴者から「ウザい」と猛烈に嫌われてしまい、ネット上で袋叩きに合う。
炎上は、リアルにまで波及し、少女はまともな学校生活を送ることもできなくなる。
そして、ふと「疲れた」となり、歩道橋から道路に向かって飛び降りるところを、主人公が塞いだところで物語は次へと続く。
なんとも胸糞悪い話だ。
バーチャルとリアルを区別できないと大変なことになる。
恋愛リアリティショーというものは、ある意味では、制作側が責任を放棄したバングとも言える。
「リアル」を売りにしている分、演者の行いは、演者の責任となるからだ。
舞台を設定して、時と共に求められる役割もある程度は固定されていく。
人は、その場の空気を詠んで役割を演じながら生きているのだから、中にはヒールとならなければならない人も出てくるだろう。
そして、その責任は演者に向く。
「役」でもない等身大の自分として、演者はそれを受け止めなければならない。
ネット民は、その人の何を知っているのだろうか。
ネットの世界では、有る事無い事飛び交い続ける。
それが本当か嘘かを見分ける術などない。
根も葉もない噂が一人歩きして、とんでもないところまで飛び火してしまう。
人間は怖いね。
自分より劣る何かを叩かないと、自分の価値を認めてあげることができない。
自分の価値を認めてあげるためには、自分の価値観が正しいことを証明してくれる環境が必要なのだ。
「みんな」の中に所属することでさ。
「みんな」と誰かを叩くことでさ。
「自分が認められた」と錯覚する。
惨めで仕方がないね。
血の通っていない関係性ばかりが増えて、その数を競ってバカみたいだ。
簡単に切って切られて、都合が変われば手のひら返し。
虚像ばかり大きくなって、画面の向こう側にいる人が自分と同じ生身の人間であることを忘れてしまう。
みんな同じなのにね。
自分と同じように、弱くて脆い生身の人間なのにね。
そのことは決して忘れてはならない。
皮肉なことに、作者はこの作品を作ったことで、被害者への配慮が足りないと叩かれる。
作品と同じような構図で、自らが叩かれることになる。
是非はともかくとしてさ。
関係ない人たちが騒ぎすぎなんじゃないのかな。
法的に問題があるならば、当人同士で話をつければいいだけの話だ。
「正義」を掲げることに酔っ払っている暇があったならば、現実世界での自分の価値を上げる努力に時間を費やせばいい。
娯楽に本気になってどうする。
いや、本気でもなく遊びで人を傷つけているのかもしれないな。
見る側のモラルが問われるのではないだろうか。
この件に対する私の意見は、そんなところだ。