「上を目指さない」と、そこでその人の成長は止まってしまう。
しかし、「上しか見ることができなくなる」と、それはそれでその人の成長は止まってしまうのだ。
「人の苦労がわからない人」からは、人の心は離れていく。
どれだけカリスマ性があったとしても、それは変わらない。
一時期は良くても、長くは周りと良好な関係を続けることはできなくなり、やがて孤立するだろう。
人生はそんなに甘くはない。
どこかで必ず行き詰まる。
それを乗り越えた経験があるか否か。
そこが人生の分かれ目なのかもしれない。
そして、その経験を曝け出すことができることが大切だ。
その苦労に共感して、人は心を開くのだ。
「パーフェクト超人」
人はそういう人と直接関わりを持ちたいとはおもはない。
接しているだけで息が詰まってしまうからだ。
これからのリーダーは、メンバーに対する共感を求められる。
それと同時に、リーダー自身がメンバーから共感されることも求められるのだ。
相互理解の時代。
たとえそれが仮初の相互理解だったとしても、社会の仕組みがそれを評価軸にしていることから、相互理解は切りたくても切れないものとなる。
孤高の一匹狼のそうな人がチヤホヤされる時代は終わった。
誰にでも気さくで話しやすく、コミュニケーションコストの低い人が、これから求められるリーダー像なのだろう。
私はできる限り自然体で人と接したいと思っている。
上辺だけを取り繕って、自然体である私に魅力がなければ、結局のところ自分のためにならない。
本当の意味で、魅力ある人間へと歩みを進めていかなければ、ペルソナを使い分ける技術ばかり上手なカメレオン人間に行き着いてしまうのだ。
「良い人」
それは「良い人に見える人」なのか「良い人」なのか見分けることは難しい。
それでも本人はわかっている。
心の奥底にある「醜さ」や「嫌らしさ」を、本人は自覚しているのだ。
それをゼロにすることはできないけれども、自分のマイナス面と向き合って生きるのか、それと向き合わずに上辺だけを取り繕うのかで、人生は大きく変わる。
最終的に「誰の人生を生きているのか分からなかった」
私は、そんな結論を導き出したくはない。
足元をしっかりと固めながら、自分のマイナス面と向き合いつつ、改善に向けて努力を重ねていきたい。
その姿勢が「人生」に現れるのではないだろうか。