「ビジネス会話」では結論を求められる。
「日常会話」では共感を求められる。
どちらかに偏ると、どちらかが下手になる。
どちらも上手な人は、どのような脳の使い方をしているのだろう。
私は割と「日常会話」寄りの人間だった。
ビジネスでも、コミュニケーションを意識することで話は円滑に進むし、多少ミスをしても許してもらえると言うようなセーフティネットとしても役割も果たしてくれる。
今までは、それで通用していた。
今の職場は「ビジネス会話」を求められる。
そうすると、余計な話をすることを憚られるので、私の中でペースを作ることが難しい。
まだまだ修行が足りないのだろうか。
このまま「ビジネス会話」よりに進むと、私が私ではなくなってしまうような葛藤がある。
何よりも、プライベートで支障が出てしまうことになったら、それは私の望む生き方ではない。
「人としてどうなのか」
ビジネスにスピードを求められることは理解できるのだけれども、それって敢えて思考停止していないだろうか。
「求められる能力」ばかりを磨いた結果、人生が豊かにならなければ元も子もない。
今の生活を続けていると、どんどん合理的になっている気がする。
少し前の記事にも書いたが、私は根本的には直感で動くタイプだ。
このまま、私は私らしさを失ってしまうのだろうか。
それも生活のためには仕方のないことなのだろうか。
常に試行錯誤しながら生きていく。
常に悩みを抱えながら生きていく。
人生はそうやって続いていくのだ。
いつまで経っても悩みは尽きないし、
生きることは大変だ。
健康でバイタリティあふれる生活を送りたい。
些細なことに思いを巡らせて、自ら進んで悩みを生み出している気がする。
体調が優れないからだろうか。
無理の効かない体になって早7年。
この体が元に戻ることはないのだろう。
それでも私は生きていく。
常に些細な悩みを抱えながら生きていく。
常に些細な悩みを見つけながら生きていくのだ。
それが私の人生なのだ。