倫理に反していない限りは、基本的に自分と意見が異なっていたとしても、それを否定することはしない。
些細なことで軋轢を生むことを過剰に恐れる時代なのだ。
それは、ある意味では人と人との信頼関係が希薄だと言えるのかもしれない。
この人には、これくらい言っても大丈夫という線引きをできるほど、信頼関係を結ぶことができないのだ。
どこで誰が逆上するのかもわからない。
どこで誰から告発されて失脚するのかもわからない。
スマホの普及により、誰もが高性能のビデオカメラを持ち歩く時代。
自分の態度がどこでどう巡り回って批判の対象になるのかはわからない恐怖がある。
なんとも「生きづらい世の中」だ。
「言いたいことも言えないこんな世の中じゃpoison」
心を押し殺して、なるべく無難な選択肢ばかりを選び取って生きていく。
それが唯一の正解なのだ。
そうすると、人から自分の意見を否定されることに対する耐性は低くなる。
さらに些細なことで軋轢を生み出すという悪循環につながるのだ。
どんどん表面的になっていく。
どんどん裏表の大きな時代に進んでいく。
「察する力」が一層求められることになり、それの劣る人たちは淘汰されていくのかもしれない。
それはそれで時代の求めるものなのか。
いくら「権力」があっても破壊は一瞬だ。
民衆からの支持を得ることのできない人は、過去の功績が輝かしいものであったとしても消えていく。
クリーンになりすぎて恐ろしい。
そう感じているのは私だけだろうか。