今の世の中は「標準化」に舵を切っているものだから、いわゆるフレームワークと呼ばれる、失敗しないためのテンプレートが無数に存在する。
コンサルタントの仕事は、まずそれを覚えるところから始まるらしい。
そうなると波風の立つようなことは話さない、
型にハマった正解以外の意見は受け付けない、
そんな量産型の面白みのない人間ほど「優秀」ということになる。
時代が進むにつれて、利便性を求めてビジネスは進化していくのだろう。
ある意味では、利益を上げるためのビジネスモデルの終着点が「標準化」ということになる。
しかし、そこで終わってしまうような働き方を続けていたら、プライベートにも影響を及ぼすようになりはしないのだろうか。
失敗を恐れて、正解ばかりを先回りして追い求めるようになったら終わり。
生活のどこに面白みを見出せば良いのか。
私にはわからない。
そのうちに、何を聞いても当たり障りのない「正しいこと」しか話さなくなるテンプレ人間の出来上がり。
このテンプレ人間は、果たして何に心を動かして、何を楽しみに生きていくのだろうか。
組織と自分をコミットさせれば、わかりやすく居場所ができる。
しかし、その居場所が当たり前のものになってしまうと、自らの価値観が組織と同化して、それ以外の価値観を受けつけることができなくなる。
この状態は、果たして幸せだと言えるのだろうか。
私は、そうは思わない。
周りと調和することはもちろん必要だ。
ただ、周りと調和することが最も大きな目的になってしまうと、そこから先の人生が途端に色褪せたものになってしまう。
「自分の人生を楽しむこと」
それよりも大事なことが、この世に存在するのだろうか。
もちろん、周りに迷惑をかけないことは前提となるけれど、自らの気持ちを偽って、周りにばかり迎合する人生。
誰の人生を生きているのかわからなくなる。
自分の言葉で話さない時間は、自分に対して偽りを述べていることにもなる。
それが当たり前になってしまったら、仕事のみならず、プライベートにまで影響は広がる。
そして、いつの間にか、自分の意思や願いが自分でもわからなくなり、人から与えられたものにばかり時間を費やすようになる。
「自分の言葉」
自らの内面から湧き出てくる気持ちを蔑ろにしてはならない。
時にはその言葉に従って、ありのままの気持ちで行動することが大事なのだ。
いつだって、大事なことは自分の内側に用意されているのに、人はそれに気がつくことなく、周りの評価ばかりを気にして生きている。
そのことに気がついていながらも、気がつかないふりをして、誰かに都合の良い言葉ばかりを吐き出している。
そして、徐々に蝕まれていく。
気がつかない速度で、ゆっくりと蝕まれていくのだ。
心が麻痺してしまう前に、心が何も感じなくなってしまう前に、心が発する声に耳を傾ける。
その繰り返しによって、「喜び」という感情が蘇る。
そこから先は、自然と自分の言葉で話せるようになるはずだ。
もしも、気がつかないふりをしているのならば、
どこかで変わらなければならない。
気がつかないふりを、いつまでも続けることはできないのだ。