文明が出来上がる前は、毎日生きることに精一杯だった。
狩りをして食べ物を確保したり、いつ外敵が襲ってくるのかもわからない。
「なぜ自分が生きているのか」なんて、考える暇もない。
その日暮らしを繋いでいくことだけで精一杯なのだ。
それに比べると、今は「生きること」が簡単になった。
社会性を発揮しなければならないという煩わしさはあるものの、物理的に命を繋ぐという点では間違いなく簡単だと言えるだろう。
食べ物に困ることはほとんどないし、最悪の場合、社会が最低限の生活を保障してくれる。
その生活が当たり前になると、生きることは当然の権利であり当たり前、となっていく。
要は「生きることに対してありがたみがなくなる」のだ。
社会がやってくれることが当たり前、報われない原因は社会にある。
そうやって不満ばかりが大きくなる。
人は暇を持て余すと余計なことばかりを考える。
そして、人は基本的にネガティブだから、考えれば考えるほどにネガティブな思考に支配されるのだ。
私の人生には「めんどくさい」と思うことが山ほどある。
タスクに追われながら生活をしている。
忙しいことに対する不満を口にすることも多い。
裏を返せば、私は恵まれているのかもしれない。
やることが多いということは、それだけ人との繋がりが多いということにもなる。
誰かに対する責任。組織に対する責任。
見方を変えれば、そういうものもありがたいと思えるようになる。
自分の人生は自己責任だ。
誰かが責任をとってくれるわけではない。
どんなに理不尽な目にあったとしても、それを自分で受け止めて生きていくしかないのだ。
誰かのせいにするしかない時期もあるけれど、
それだけで人生は先に進まない。
どこかで向き合わなければならないのだ。
それならば早ければ早いほど良い。
一歩を踏み出してみれば、案外簡単にことは運ぶもの。
だって、今の時代は「生きること」が簡単な時代なのだから。