「偶像」
いわゆる「モデルケース」と呼ばれるもの。
人々は時代の移り変わりと共に、異なる「偶像」を作り上げて、それを崇拝する。
「失敗しない人」
今の若者たちは失敗することを極端に避けようとする。
情報は無数に溢れている社会だ。
初めて取り組むことだとしても、自分なりに調べて準備をする事は可能となる。
そうすると、誰も教えてくれないからできない、という事は言い訳となる。
無意識にそれを理解しているからこそ、失敗する事は自己責任と感じる。
そうなると、勝算の低いゲームに挑戦する事はしない。
その繰り返しの中で、失敗することを恐れるようになるのだろう。
だから、大門未知子のように「失敗しない人」
それが今の時代に求められている「偶像」なのかもしれない。
今の社会は「優しい」ようで「優しくない」のだ。
ルールはどんどん従業員に有利となり、ハラスメントに対する目は厳しい。
少しでも道を外れた行為をしようものならば、それが大したことではなくても、誰かからの告発を機に大問題となる。
しかし、それはあくまでも社会要請に従っているだけで、人間自体の精神が変わらなければ、心の中ではどんな不満を抱えているのかわからない。
表向きだけ「優しい社会」へと進んでいるが、実態は「人の精神が追いついていない」のだろう。
立場の弱い人に有利なルールをつくれば、そこに当てはまらない人の中に不満は溜まる。
立場が強い人だけでなく、立場が弱いが有利なルールに当てはまらない人もいる。
誰かが得をするたびに不満は溜まっていく。
自分が損失を被るたびに不満は溜まっていく。
そういう社会なのだ。
そういう理不尽さに心を動かされず、自分は自分で他人は他人だと割り切る強さが求められる。
得をすればラッキーで、損をしたらたまたまアンラッキーだった。
ただ、そういうことなのだ。
変化の激しい時代に一喜一憂していたら体がもたない。
自ら進んで心を煩わせ、誰かの食い物になってやる必要などないのだ。
情報は無数に溢れているが、その分取捨選択には運が必要だ。
「失敗しても仕方がない」
失敗しなかったならば、たまたま自分にとって必要な情報を所得していただけ。
つまり、ただ運が良かっただけなのだ。
運に左右される時代だからこそ、運に振り回されてはいけない。