「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

僕は僕に生まれてきて良かった

f:id:tureture30:20190109065428j:image

 

全盲ドラマーとして活躍している酒井響希くん、

そのドキュメンタリーを見た。


2歳で癌により両眼を摘出して全盲

10歳でDef Techのバックドラマー、

11歳では24時間テレビYOSHIKIとセッション、

現在12歳、


病気がわかった時に医師からは

「命を取るか両眼を取るか選んでください」と、


ご両親の葛藤、

「このまま死なせてあげた方がこの子のためなのではないか」


それでも、我が子の姿に支えられて、

泣きながら我が子を全力で育てて、

生きて、生きて、生きて、


そして我が子は歳とは不相応なくらい、

立派に自分の道を歩む。

 

立派に育った彼は、

親としてはこれ以上ない一言をプレゼント、

「僕は僕に生まれてきて良かった」


心から感動した。


親になれるかどうかもわからないけれども、

我が子にそう言ってもらえるような、

そんな強い人間でありたいと思った。


子育ての大変さは、

見たり聞いたりしているけれども、

実際はその何十倍も大変なのだろう。


全ての偉大な父母に敬服する。

 

ヤレる女子大生ランキング問題

f:id:tureture30:20190108060939j:image

 

ある週刊誌の記事が問題となっている。

内容はお持ち帰りできたJDの大学を集計したものを実名で公開、

名誉毀損やら女性軽視とのことで署名運動にまで発展したらしい。


男は女を性欲処理の道具としてみていると言う。


それを正当化するわけではないけれど、

女だって男を不安を解消するための道具としてみている。


ある男はある女性に対して、

「あんなに可愛いのに彼氏がいないなんてもったいない」


何がもったいないのか。

結局は男目線だけ、


ある女は同棲しているくせに、

色目を使ってより条件のいい男漁り、


「好きな男の腕の中でも違う男の夢を見る」

お前はジュディ・オングか。


若いうちは経験というけれど、

その経験の上に積み重ねるものが、

良いものになるかは甚だ疑問、


「こんなに傷ついたのだから何をしても許される」だとか、

「男なんてもう信じられない」だとか、


結局は人を道具としてみることを助長する。


「大事にされたい」と思うのに大事にしない。

みんな自分本位、


違いは自分が自分本位だと知っているか否か。

知っていれば少しは謙虚になれる。

 

胸にばかり視線が向いても、

AVにお世話になっても、

異性を好きになる気持ちは大事にしたい。

 

本当の「好き」って、

相手を大事に思うあまり、

謙虚で誠実なはずだから、

 

 

嫌いになった人を好きになることは難しいこと

f:id:tureture30:20190107073719j:image

 

一度「嫌い」とレッテルを貼ってしまうと、

それを剥がすのは難しい。


「どうでもいい人」を嫌いになったならば、

必要以上に関わらなければいいだけのこと、

無理に好きになる必要はない。


でも「好きだった人」を嫌いになってしまったら、

苦しい時間が続くはず、


「一瞬で冷めた」と言う人がいるけれども、

本気でそう思うならば、

それって本当に好きだったのか疑わしい。


シールだって剥がした跡って、

なかなかキレイにはならないもの、


思い出のシールを剥がしても、

剥がした跡は残ってしまう。


思い出のシールを剥がさないで、

その上から「嫌い」のレッテルを貼ってしまったら、

いつまでも忘れることはできない。


でも、寂しいからって安易に「好き」に戻ってはいけない。


「嫌い」のレッテルを剥がした跡を見つめながら、

それでもまた心から「好き」と思えるならば、

徐々に関係を戻せばいい。

 

どうしても戻れないならば、

「嫌い」が剥がれるのを待ってから、

その跡を心に刻んで、

また別の思い出を貼り重ねるしかない。


不安や寂しさに心を委ねてしまうと、

今度はもっと傷つくことになる。

 

男女はどちらかが好意を持ってしまった時点で、

元の関係には戻れない。

好きな人を嫌いになることは容易いこと

f:id:tureture30:20190106093057j:image

 

好きと嫌いは紙一重

好きであればあるほど、

期待を裏切られ続けたら嫌いになる。


身勝手な好意、

勝手に好きになられて、

勝手に振られて、

勝手に避けられる。


逆もまた然り、


それよりも、

「好きな人」を「どうでもよい人」にすることが難しい。


一度人生に影響を与えられると、

イヤでも意識してしまう。


いくら関わらないように努力しても、

そう努力している事自体が意識していることの証明、


それをしないようにすることは難しい。


苦しみぬいた末に、

別の幸せで満たされれば、

過去のことなどどうでも良くなるのだろう。


心の底から満たされたい。

満たされないから許せない。

 

心の声に耳を傾けるということ

f:id:tureture30:20190105094431j:image

 

みんながこうしているから、

こうあるべきだから、


そうやって心の声を押し込めてしまうと、

気が付かない速度で心が蝕まれてしまう。


自分が何をしたいのか。

どうなりたいのか。


それに従って行動を決めるならば、

大きく見え方が変わるはず、


ただ、こじらせすぎてはいけない。


あくまでも目的は心の声に耳を傾けること、

それがいつでも正しいとは限らない。


自分と周りとの距離感を正常に保つこと、

相手が正しいと思ったら素直に聞き入れること、

そうしないと自分の居場所がわからなくなってしまう。


人には人の居場所がある。

それを奪わなければいられない居場所なんて、

居心地が悪い。

 

人が嫌なことはしない。

それでもって自分の心に嘘をつかない。

 

簡単なようでも難しいこと、

 

自身の暴力性と向き合う

f:id:tureture30:20190104073358j:image

 

支配欲や征服欲、

そのようなものがないといえば嘘になる。


誠実を語る前に、

相反するものと向き合う必要がある。


私の場合は不誠実さを許容できない。

そのような行為に対して暴力性が現れる。


明確な行動に出ることは少ないが、

態度で相手の存在を否定する。

改めるつもりのない人からは距離を置く。


それに気まずそうになる相手を見て溜飲を下げる。

よせば良いのに相手の不幸を願う。


「怒る」ことは少なくなったけれども、

一度怒ると「許す」ことがとても苦手、


聖人君子を目指しているわけではない。

でもこのままで良いとは思わない。


自分は自分、人は人、

そのように割り切れば簡単だけど、

それにも冷たさを感じる。


包み込むような器の大きさ、


相手がどうあれ、

自分は相手を裏切らないこと、

存在を否定しないこと、

かつ、必要以上に関わらないこと、


私にできることはそれしかない。

 

下町ロケット

f:id:tureture30:20190103091404j:image

 

下町ロケットを見て、

「生きることは作ること」

その言葉が強く印象に残った。

 

生きている限りは何かを生み出す。

信頼であり絆、悪意や憎しみ、

 

それが良いものだとは限らない。

 

良いものを作りたい。

人の役に立つものを作りたい。

それがそのまま良い生き方に通じるのかもしれない。

 

本質を見失ってはいけない。

自分の行動の結果に、

どれだけの人が関わっているのか。

 

人との触れ合いを怠ってしまうと、

それが見えなくなってしまう。

人を道具としてみるようになってしまう。

 

誰かの不幸から富を享受していたら、

その代償として心が枯れていく。

 

誰かが水を与えてやらなければ手遅れになる。

 

人との触れ合いとは、

自分と相手の心に水を与え合うこと、

 

人は都合の良い生き物だから、

多くの水を貯めておくことはできない。

いつだって感謝を忘れてしまう。

 

人と触れ合っていないと生きていけない。

心が枯れてしまったら、もはや人ではない。