30代童貞こじらせ男の記録

散りゆくままに、徒然と、

スプートニクの恋人

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10年ぶりに再読したノルウェーの森が良かったので

村上春樹の恋愛小説をと、

手にとりました。

 


もっともらしい理屈を並べながらも生徒の母親と不倫関係にある教師の「ぼく」

「ぼく」が好意を寄せる自由闊達な女性「すみれ」

そして「すみれ」が強く惹かれる女性「ミュウ」

 


3者を軸にストーリーが展開されます。

 


「ミュウ」との旅行中に急きょ蒸発した「すみれ」をさがすことになった「ぼく」

 

過去の経験から分裂してしまった「ミュウ」の半身を取り戻すために、

あちら側に行ってしまったと思われる「すみれ」

 

「すみれ」を探す過程でその内面に触れ、

お互いが求め合っていることを再認識し、

不倫関係を清算した「ぼく」

 

最後は「すみれ」が「ぼく」の元に戻ったような描写で終了

 


特筆すべきは「ぼく」が不倫関係を清算する過程で生徒である相手の子供と対峙したシーン

 


「ぼく」は自分をさらけ出して、

持てる限りの誠実さを示しました。

ここで「ぼく」は生徒から許されるわけですね。

失った信頼を取り戻すためには誠実であり続けるしかない。

 

 

 

テーマはこちら側とあちら側、

村上春樹作品はこの手のものが多いですね。

 


それが何を示すのか。

意識と無意識なのか、

自我と超自我をあらわすのか。

 

今回の場合は、
おそらく後者でしょうか。

 


「社会」というものにコミットするが為に、

失うものはあまりにも大きい。

 


もちろんそうしなくては多くの場合、

生きることが難しいのですが、

 


倫理・規範といった超自我に支配された自分、

 


それに気がつかないことが大半ですが、

時には「こうありたい」と願う自分、

 


互いを強く求めていると言うこと、

何を差し置いても一緒にいたいと思える相手に出会えたならば、

 


それはなんとも幸せなことです。

 


もう一度でいいからそのような恋がしたいものです。

もちろん、うまくいく形で、