酒が入ると自然と優しくなれる。
理性が優しさを抑えているのだろう。
優しさにつけ込まれて、
いいように使われて、
傷つけられたから、
相談されたら別だけれども、
必要以上に人の悩みに関わらないようにしている。
困っているのを見かけたからって、
安易に優しくしてしまうと、
気持ちに応えられないくせに、
気持ちを引き寄せてしまうこともある。
それで何度も苦労した。
「誰にでも優しいよね」
「優しいだけが取り柄なんでしょ」
捨て台詞のようにそう言われたことがある。
そこまで相手を傷つけていたのかもしれない。
安易に優しくすることが怖い。
『嫌われる勇気』にあるように、
課題の分離をした方が良いのだろう。
嫌われたくないから優しくする。
下心から優しくする。
立場上の使命感から優しくする。
もちろん必要な場合もある。
でも、そのような優しさばかりを振りまいていると、
どこかで歪みが生じてしまう。
そのような優しさを振りまいている自分に酔っていると、
気がついたら足元をすくわれてしまう。
「優しさ」の源がどこにあるのか。
本当に相手のことを思っているのならば、
嫌われることも厭わない。
相手のためになると思うならば、
関わらないことが優しさかもしれない。
無私で相手の幸せを思えることが本当の優しさ、
優しさを受け取る側も気をつけなければならない。
自分の価値を信じられないからって、
優しくされる自分に価値を見出してはいけない。
その優しさを受け取って、
心からの感謝を返すこともまた優しさ、
優しさが連鎖する。
安易に優しくすることを恐れなくても良い。
そんな世の中になればいいな。
いや、そんなものは自分の心ひとつか。
強くなりたい。