「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「力不足ではございますが」と言う保険

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日本人には謙遜の文化があるものだから、

所信表明では使い古されたように「力不足ではございますが」と言うことが慣例となっている。

 

だけれども、この言葉は「保険」を作ることになりやしないだろうか。

どこか「失敗しても仕方がない」というような弱弱しさを感じる。

 

私がぶつけられるのであれば、

「力の限り、精一杯やらせていただきます」

こっちのほうが余程いい。

 

「力が不足しているかどうか」

そんなことはやってみなければわからない。

未経験のところから思わぬ力を発揮することなんてザラにあるのだ。

 

だけれども「精一杯やる」

これはわかりやすくやる気が伝わる言葉だ。

「精一杯やるならば応援しよう」と、こう思うのは私だけではないだろう。

 

この姿勢が明暗を分ける気がする。

受け身なのか。そうではないのか。

 

始めてやることに不安が付きまとうのは当たり前のこと。

それでも食らいついていこうという気持ちがあるか否か。

ある意味ではサンドバッグになることも厭わないような覚悟。

そういうものに人の心は動かされるのではないだろうか。

 

そして、口先だけではなく行動で示すこと。

それが何よりも大事だ。

 

「だれかがやってくれるはず」

 

そうやってやり過ごしていれば、苦労を避けることはできるのかもしれない。

だけれども、5年後10年後をみた時に、大きな差がついている。

 

そのルートに身を投じることは大変だし、勇気の必要なことだけれども、人は苦労を避けたところで、いつかは苦労に捕まるのだ。

 

それならば、壊れてしまわない範囲で、苦労を続けた方がいい。

負荷が大きすぎるのも問題だけれども、負荷が足りなさすぎるのも問題だ。

 

人生というものは、成長を実感した時の歓喜を味わうためにある。

私はそう考えている。

 

だから、「精一杯やらせていただきます」ってさ。

最初はそういう気持ちで望むことが大事なんじゃないかな。

 

本当に「ヤバいな」と思ったら逃げ出す。

それは選択肢として残した方がいいのだけれども、初めから弱腰では臨まない。

それが苦労に飛び込んでいくという「強さ」につながるはずだ。

 

それが私のスタイルだ。

だから「力不足」

そう感じていたとしても、私は言葉の保険をかけずに挑戦したい。

 

3回目のワクチンを打った直後に、

何故だかそんなことを考えた。