目の前の幸せに飛びつく。
そうすると、その目の前の幸せしか見えなくなる。
周りの目なんかお構いなしに、嬉しくて舞い上がる。
自分の幸せな姿が、知らず知らずに誰かを傷つけていることになっているのかもしれない。
その時は、そんな可能性に目を瞑って、ただただひたすらに、誇らしい気持ちに満たされているのだ。
「誰かの願いが叶うころ、あの子は泣いている」
嬉しい時もあれば、悲しい時もある。
楽しい時もあれば、辛い時もある。
いつも辛く悲しいわけではないはずなのに、
誰かの幸せに触れた時、人はそれを自分と比べてしまい、ちょっぴり惨めな思いをすることがある。
目の前の人の幸せは、もしかしたら上辺だけなのかもしれないし、
その幸せを手にするためには、その何10倍もの苦労をしてきたのかもしれない。
それでも人は、目の前の幸せに嫉妬する。
そして、幸せの中にいる人は、周りの嫉妬に気がつくことができない。
そこに、人の「愚かさ」と「愛おしさ」が同居するのだろう。
人というものは、なんと愚かで愛おしいのだろう。
心から幸せそうにする、彼女の姿を見て、
私は愛おしいと思うと同時に、単純で愚かだなと思ったりもする。
結婚はゴールではない。
むしろ大変なことの方が多いだろう。
これから先、私なんかと一緒に住むことになったら、とても苦労するだろうなとでも思いながら、幸せそうな彼女を見て、私は愚かで愛おしいと思っているのだ。
ん?じゃあ、私はなんで結婚したかったのだろう。
こんな私は、幸せになれるのだろうか?
自分を客観視しすぎると、幸せを逃すことになるのだ。
願いが叶ったところがゴールではない。
長い人生。喜びも悲しみも繰り返すのだ。