「人間なんてみんなどこかちょっとずつおかしい」
そのおかしなところを見せ合って、
時には出っ張ったところをぶつけ合って、
それでも居心地がいいかどうか。
体験したことを自然と共有できるかどうか。
これまでに培った価値観を晒し合って、
それで違和感がないかどうか。
それが相性ってやつ、
個性をぶつけあうことがおもしろいこともあるし、
出っ張ったところが相手のへこんだところに、
パズルのピースのようにハマる心地よさもあるかもしれない。
それは直接触れ合わないとわからないこと、
表情の豊かさ、
声の調子、
笑顔の眩しさ、
その一つ一つが魅力となって心を揺さぶる。
画面越しのあの人は、
実在するかどうかもわからない。
もしかしたら幻かもしれない。
そんな儚さに思いを馳せるのも一興、
だけれども私は前に進みたいのだ。
関係を前に進めたいのだ。
愛する人に出会って、
一緒になって、
幸せな時を共有する。
それを望んでいる。
そんな月並な幸せを心から望んでいる。
「人間なんてみんなどこかおかしい」
だけれども望んでいることって、
みんなそんなに変わらない。
個性を尊重しすぎて、
人間という生き物の価値観が多様化しすぎて、
まるで違う生き物のようになってしまったから、
誰かを選んで、
誰かに選ばれて、
ちょっとしたことで別れてしまって、
同じことを望んでいるはずなのに、
どうしてこうなってしまったのだろう。
個で在りたがる一方で、
誰かと繋がりたがる。
自立を望む一方で、
過剰な自意識に支配される。
人は強く儚いもの、
私たちが求めているものって、
自分らしさを認めてもらうことなのかな。
だから、
「あなたのあなたらしいところが好き」
そう言ってもらえたら一番嬉しいのかもしれない。
おかしなところを愛おしく思える相手、
そして愛おしく思ってくれる相手、
そんな人が「相性の良い人」なのかな。