「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

1000日連続更新

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昨日の記事で1000日連続更新を達成しました。

 

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当面の目標としていたこの日、


実際に通り過ぎては見たものの、

何も変わることはありませんでした。


私の気持ちも、私の環境も、

多少の変化こそあれ、

1000日前と変わらないどころか、

むしろ時が経った分だけ「平均」と比べれば、相対的に後退しているくらいです。


私は「時の流れ」にふさわしいほど、

人生を先に進めることができていない。


ブログを書き続けて3年が経ちましたが、

1000日連続での更新を続けて顔を出したものは、

そんなネガティブな気持ちでした。


多くのブロガーさんが自分の人生を進めたくて、

何かを変えたくてブログを書き続けているのだと思います。

私もきっかけはそうでした。

 

多くの方と出会い、コメントをやり取りしていましたが、

この3年間で多くの方が先に卒業していきました。


前触れなく更新が途絶える方、

生活に変化があって更新できなくなる方、

更新することを重荷に感じて辞めてしまう方、

気がつくといなくなってしまった方もいました。


望むものを掴んだ方もいれば、

そうではなかった方もいたかと思います。


私の場合は後者です。

今のところ、手に入れたものは「経験値」だけ、


そして私はその「経験値」を使ってレベルアップできているのか。

それとも「それなりの経験」を積んできたつもりではいるけれども、次のレベルまでに必要な経験値量は膨大で、まだそこまで至っていないのか、

それは今の私にはわかりません。


少なくとも言えることは、

村上春樹氏が『回転木馬のデッドヒート』の中で綴られていたように「書くこと」だけでどこかに到達することはなかったのだろう。

 

全ての人に当てはまるかは分かりませんが、

少なくとも私の場合、そのことを実感しています。

 

そうは書いてみても、
何も「書くこと」を否定しているわけではありません。


私は「文章の力」を信じていますし、

樺沢紫苑さんの『アウトプット大全』にあるように、

ブログを書くことでの「インプットしたものの記憶の定着」や「アウトプット力の向上」は実感しています。


メタ認知」を癖にして、自分の内面と向き合いながら生きる力、自分の心に正直に生きる力、

そういうものを養うことができたと思っています。


ところがそれも「諸刃の剣」


人は「自分の心の声」から目を背けたほうが楽に生きられる場面も多いのです。

理想と現実とのギャップに目をつぶり「それなり」に生きる。

そのほうが幸せな場合も多いのです。

 

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結局、私が辿りついた答えは「人生は自己責任」ということです。


「どのような選択をしたとしても、その選択に責任を持つこと」

自分の人生の責任は自分以外の誰も取ってはくれません。


例え、誰かに敷かれたレールの上で生きてきたところで、そうやって生きる選択をしたのは自分自身なのです。

誰かのせいにしたところで虚しさは募るばかり、

 

自分に非が全くない場合も同様です。

テロみたいな不意の悪意に巻き込まれて、人生を大きく損なったところで、損なわれた人生を修復するのは自分自身、


誰かを憎んだところで、恨んだところで、

何も解決することはありません。


それどころか、心は虚無に侵食されて、

一生涯、決して離れることのできない唯一無二のパートナーであるはずの「自分自身」

その「自分自身」を嫌いになる一方です。


私の中には「何人の私」がいるのでしょうね。

もしかしたら誰もが「多重人格者」なのかもしれません。

 

「ペルソナ」を使い分けるというのではなく、心の中に「何人もの私」がいることを感じます。


私の行動を客観的に見て評価する私、

その評価に基づいて新たに行動する私、

最初の私とその次の私の行動を比較して分析する私、

評価している私のことを評価する私、


人は毎日生まれ変わっているのかもしれません。

 

そして「過去の自分」を許してあげることが苦手な生き物なのかもしれません。

だから「前に進んでいる実感」を求めて生きている。


だけれども、どれだけ自分のことを嫌いになっても、

自分とだけは別れることはできません。


それは「過去の自分」に対してもそうだし、

「理想とする未来の自分」に対してもそうなのでしょう。


だから自分を嫌いにならないように、

自分の人生に責任を取り続ける。


「生きる」ということは、なんと大変なことか。

「生きる」ということは、なんと辛く苦しいなことか。


それでも日常に散りばめられた「ささやかな幸せのカケラたち」


それが「生きる糧」となり、

「生きるに値する理由」となる。


だから人は生きるのでしょう。


「死ぬ理由がない」から生きるのではなく、

どんなに辛く苦しくても「幸せなことがある」から、

だから生きるのでしょう。

 

それは「生きる苦しさ」と比べたら、

全く割に合わないくらい些細な幸せかもしれません。

 

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BUMP OF CHICKEN『ギルド』


人間という仕事を与えられて

どれくらいだ


ふさわしいだけの給料

もらった気は少しもしない。


いつの間にかの思い違い

仕事ではないわかっていた


でもどうやら手遅れ

仕事でしかなくなっていた

 


「生きていること」にその対価を求めるから、

人は「生きること」に苦しむのかもしれませんね。


もともと割に合わないものだと思えば、

ある意味では諦めもつくのかもしれません。


だから生きる。

「幸せなこと」があるから生きる。


ふと見上げた空の青さに息を呑む。

頬を撫でる爽やかな風から感じる春の陽気に心を弾ませる。

ささやかな親切に対する「ありがとう」の一言に心和ませる。


目を凝らしてみれば、

「幸せのカケラ」は、そこかしこに転がっています。


それを見逃して生きているということはなんて勿体ないことなのでしょう。

心の燃料を無駄遣いしているようなものです。


「心のSDGs


心もサステナブルでなければなりません。

悪意が蔓延る中で、嫉妬や見栄に支配される世の中で、

「心の燃料」を枯渇させてはいけないのです。


だから私たちは自らの責任で、自らの燃料を確保して、

さらに理想を言えば「自らも誰かの燃料になっていく」


それこそが「心のSDGs」なのかもしれません。

 

とまあ、きれいごとですかね。


一応メモリアルなので、

今の心情を忌憚なく述べることが大事だと思い、

思いつくままに言葉を並べてみました。

 

 

さて、今後の当ブログですが、

冒頭に述べた通り、私自身が何も変わらないので、

何事もなかったかのように毎日更新を続けようと思います。


ストックはまだ膨大にありますし、

更新日の節目を迎えたからと言って私の生活が変わるわけではありません。


「1000日連続の日までに!」と気負いを感じていた時期もありますが、

そんなものは何の役にも立ちません。


私の生活が大きく変化するか、

私の吐き出すものが枯渇しない限りは、

このブログは続くのかもしれませんね。


とりあえずは「3年連続毎日更新」を目指して、

1096日、そして1100日を目指すことにします。


いつもご覧いただき、スターやブックマーク、

コメントまでいただきありがとうございます。


今後も気が向いたらお付き合いください。