先日、スマホを家に忘れてしまい、
改札の前で立ち往生することになった。
「スマホがないと電車に乗ることができない」
なぜかそんな考えに支配されており、どうしようかと思案していたのだが、「切符を買えば電車に乗ることができる」と、なんとも当たり前のことに気が付いては、胸を撫で下ろす。
いつの間にか逆転してしまった。
昔は切符を買って電車に乗ることが当たり前だったのに、今では切符を買わないで電車に乗ることが当たり前となった。
新幹線や航空券なんかも、今やタッチで搭乗できる時代だ。
世界は、どんどん変わっている。
それを構成する私たちには、気が付かない速度で進んでいるのかもしれない。
そして、私たちは、スマホに多くを委ねている。
小さな端末一つでなんでもできる。
ふと考えてみても、財布をなくすよりも、スマホをなくしたほうが痛手であるように思う。
それくらい、私たちの生活に入り込んだスマホ。
これから先も、私たちに対する支配は強まることが予想される。
「時間泥棒」
誰もが暇さえあれば、スマホを眺めている。
私はスマホを忘れたことによって、普段は詳しく見ることのない車窓からの景色を眺めていた。
今まで気がつかなかったことをたくさん見つけて、それがいくつかブログのネタになった。
スマホは、もしかしたら、私たちの前の大事なものを目隠ししてしまうのかもしれない。
私たちの感性を画一的なものに変化させてしまうのかもしれない。
みんなが同じように画面に夢中になり、同じようなニュースを見る。
違うゲームをしていたって、本質的には変わらない。
違う動画を見ていたって、大抵は世に溢れた情報だ。
個性は多様化しているようで、画一化しているのかもしれないな。
もしかしたら、この同じようにスマホの画面を皆が見る行為は、私たちの知らないうちに、プロパガンダに活用されているのかもしれない。
そんな飛躍したところまで、考えが進んでしまった。
私たちの知らない速度で、世界はどんどん変わっていく。
ふと我に帰った時に、わたしたちのめのまえにひろがるこうけいは、私たちの望んだものに変わっているのだろうか。
それとも、、、
それでも後戻りはできないのだ。
世界はどんどん先に進んでいく。
私たちは、それでも自分たちの時間を確保して、自分たちの人生を生きていかなければならない。
スマホが私たちの生活を便利にしたことは、紛れもない事実だ。
しかし、私たちはどこまでスマホに生活を委ねることが正解なのだろう。
私たちの感性は、どこまで私たちのものであり続けるのだろう。
その線引きは、私たちそれぞれがしなければならないのかもしれない。