「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「余計なこと」について

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余裕があると、人は「余計なこと」を考える。

これまで私は、それを書き綴ることでブログを続けてきた。

 

昔の記事を振り返ってみると、「面白いことを書いているな」と思う記事も少なくない。

それは、その時の私に余裕があったからなのだろう。

 

「余計なこと」

面白いことは、たいてい余計なことの中にあるのだ。

「必要なこと」の中に面白いことがあった試しなどない。

個性や彩りは、人生のうち「余計なこと」の中に含まれている。

 

そう考えると、「必要なこと」をするための時間とは、誰しも同じように過ごしているのかもしれない。

 

効率ばかりを追い求める時代だ。

そうなると、行動はどんどん画一化されていく。

マニュアルがどんどん増えていき、その通りにすれば失敗しない。

人生も同じように、徐々に画一化されているのかもしれない。

 

「誰の人生を生きているのだろう」

 

考えれば考えるほどにわからなくなる。

自分が選択をしているようで、その選択は自分ではしていないのかもしれない。

 

私は、これでもかと言うくらいに市井の人だから、

割と誰もが選ぶ当たり前の選択肢ばかりを選んでいる。

そう考えると、私の選択は人類が歩んできた経験の塊であり、私が選んだものではないのかもしれない。

だからこそ、普段自分が選ぶことのない選択肢に価値が生まれる。

 

自分の意に添うような情報ばかりに触れて、都合の良いバイアスに踊らされて、私は生きているのかもしれない。

それでは見える景色は変わらない。

 

普段とは違う選択肢の先には、大きな苦労が待ち受けているだろう。

それでも、私が私の生きている証のようなものを手に入れるために、敢えて苦労する道に進む。

 

それは「余計なこと」のように思えて、

「必要なこと」なのかもしれない。

 

「余計なこと」と「必要なこと」の境目など、

あってないようなものなのかもしれないな。