私と妻は、まだ出会ってから日が浅いものだから、
2人の記念となる出来事を鮮明に思い出すことができる。
これが、2年、3年と続いていくうちに、私たちの記憶は薄れていくのだろう。
最初の一年から、思い出の鮮度はどんどん落ちていく。
そして、その鮮度を保つ事は難しいのだ。
しかし、代わりに新たな思い出を紡いでいくことになる。
2人で生活することが当たり前となっていき、環境の変化を自分のものにしていく。
やがて、記念日は無数に増えていき、今は大事だと思う日も、その中に埋もれていく。
そうやって、人は時を刻んでいくのかもしれない。
人は、使わない記憶からどんどん忘れていく。
脳の構造上、そういう仕組みになっているらしい。
当たり前ではなかったことが、当たり前に変わっていく過程の中で、思い出が日常に溶け込んでいく。
思い出す必要もないくらいに、それが当たり前となっていく。
父母と生活していたところから、1人になり、やがて伴侶を得て、子宝に恵まれる。
それだけでも、家族の形は4回も変わるのだ。
別れを経験したり、たくさんの子どもができたりすれば、さらに記念日は増えていく。
昔の記念日を思い起こす事は少なくなり、記憶から薄れていく。
話がまとまらなくなってきたが、
何を書きたかったのかというと、
今の私には、妻との記念日が無数に存在するけれど、その幾つかは色褪せていくのだろうということ。
それをしみじみと感じながら、この文章を書いている。
思い出が頭の片隅に残り続けるように、毎日を少しでも新鮮に過ごすことができるように、私たちは、まだまだ新婚気分でいなければならないのかもしれない。
少しずつ、その感覚が薄れてきた。
私たちの時間は、日常へと染まっていく。
だからこそ、記念日を大事にしよう。
今はまだ、そういう時期なのだ。