心が散らかっている。
思考のベクトルが多くの方向を行ったり来たりしている、そんな表現が正しいだろうか。
今の生活はマルチタスクだ。
私には常に多くのタスクが降り注いでいる。
それをこなすことで精一杯。
常に何かに追われながら私は時を過ごしている。
結局、足の指を痛めてから、ランニングはしなくなった。
走ることに没頭する時間はいい。
そのことだけに集中することができる。
湧いてくる雑念にも意味があるように思えるし、脳内麻薬も分泌されるから気持ちは高揚する。
結論が出てしまったか。
私は走れば良いのだ。
立ち塞がる壁を壊すことはできなくても、その周りを走り回ることで、見える景色は変わるだろう。
「忙しすぎても閉塞感を感じる」
今私が実感していることだ。
人は、成長を実感できない時に閉塞感を感じると思っていたが、忙しさに追われていても閉塞感を感じるのだ。
それは、忙しすぎても成長を実感する暇もないからなのか、それとも成長を実感していても別の理由で閉塞感を感じるのか。
そこまでは分析できていない。
「成長」に対する喜びが薄れているのかもしれない。
それは、人生を生きる上で危機的なことだ。
成長することが当たり前になってしまったならば、自分に対して求めるものはどんどん大きくなり、大きくなった理想に対して、現実とのギャップに苦しむことは目に見えている。
素直に「成長」を喜ぶことのできるくらいに、人間らしい生活をしたいものだ。
求められることがどんどん増えていくから、成長をしていても、それに対する「喜び」を噛み締める暇もない。
それが今の私が置かれた状況なのかもしれない。
無垢ではなくなってしまった。
そういうことなのだろうか。
ここしばらく、私は私のことを客観視できていない。