「人生は自己責任」
私の拙い経験からも感じるけれど、
それは間違いのないこと、
どれだけ理不尽な目にあったとしても、
誰も代わりに責任を取ってくれることなどないのだ。
だから、ある意味では責任を取ることも取らないことも自己責任となる。
この曲はそういう曲だ。
個人的な考えだが「命の使い道」
それを考え続けることが人生だと思う。
それはとても大変な作業だから、
時には投げ出してしまうこともある。
だから「死にたい」
そう思う時は人生には何度も訪れるのだ。
だけれども、ふとした時にまた体を起こして、
手の届きそうなものへと、グッと手を伸ばしてみて、
そうしているうちに起きあがろうという意欲が湧いてきて、
また立ち上がり歩みを始める。
その過程での励みは必要なのだ。
「生きることだけが100%正解ではない」
その言葉が体を楽にしてくれるのであれば、
それは「生きるために必要な言葉」だ。
退職願を懐に忍ばせることを励みに働くサラリーマンのように、退路があることで人は安心して、それを燃料に変えられる。
あいみょん『生きていたんだよな』
この曲にも通じるけれど、生きることも、死ぬことも、我々の選択肢に常に存在している。
ギリギリのところで「生」を選択できるのであれば、
いきり立って「死」を否定することもない。
ふと、消えてしまいたくなってしまわないように、
私たちは「生」だけでなく、「死」についても思いを馳せる必要があるのかもしれない。
森山直太朗『生きてることが辛いなら』
森山直太朗『生きとし生ける物へ』