「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

私の「言語化能力」について

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ブログを毎日書き続けているくらいだから、

私の「言語化能力」はさぞかし高いのだろうと少しばかりの期待をしてみるが、

少なくともビジネスにおいては、さほど高くはないと感じる。

 

おそらく私は「自分の考えていることを伝える」ということについては、どちらかと言えば得意なのだろう。

だけれども、抽象的なものごとをわかりやすく相手に伝える力、

その点は、おそらく苦手な部類に入る。

 

私の思考は形而上学的なのだ。

合理的に見えて「直観」に従うことが多い。

 

こうでこうでこうなるからこういう行動をとった。

そういう説明を人にするような人生を歩んできてはいない。

 

「こう思っている」ということを言語化することと、

「行動の理由」を言語化することは似ているようで違う。

 

私は前者は得意だが、後者は苦手だ。

 

あのクロロ=ルシルフルですら、

「動機の言語化は好きではない」というくらいだから、

常に合理的に注意深く選択肢を選ぶ生き方は、簡単なことではないのだろう。

 

しかし、ビジネスでの必要性を感じる以上は、

身につけていくべきスキルだと感じる。

 

そのために私は何から取り掛かればいいのだろうか。

 

有名な手法として「なぜなぜ分析」というものがある。

課題解決に対して「なぜ?」でアプローチしていくというものだ。

 

私は「動機の言語化が苦手」だ。

 

なぜ?

「直観」に従う生き方をしてきたからだ。

なぜ?

「理屈」で行動した先の失敗は後悔が大きくなるからだ。

なぜ?

私が後悔を恐れているからだ。

 

キリがないのでここらで止めるが、

「私は後悔を恐れている」→「動機の言語化が苦手」

こういう分析をすることができる。

 

少し飛躍しすぎている気がする。

しかし、一面では真理を突いているのかもしれない。

 

私が理屈で行動することを意識して、

動機を言語化する癖をつけていけば、

抽象的な出来事をわかりやすく説明できるようになる気がしてきた。

 

しかし、ここで気になってしまった。

これまでの行動規範を変えることで、私は私らしく生きることができるのだろうか。

 

合理的に見えて直感的な人間。

なんとも厄介な人種だ。

結局のところは、言い訳ばかりをして先に進みたくないのだろうか。

 

それどころか、私は私の行動する動機にさほど興味はないのかもしれない。

 

あくまでも、その時その瞬間、

そこで自分の選択したことに責任を取り続ける。

「人生というものはそういうものだ」と私は考えている。

 

人生というものは、例え、取り返しのつかない選択をしてしまったとしても、その選択に責任を取り続けなければならないのだ。

それならば、初めから「そういうものだ」と割り切って生きていた方がいい。

 

ここにまた一つ、

新たな「言い訳」が誕生した。

 

私の価値観は、そろそろテコでも動かないくらいには凝り固まってきたのかもしれない。

人が先に進む過程で、ある程度そういう要素は避けられないのだろう。

 

私は私の選択したものを大事に抱えながら、

これから先も生きていくしかないのだ。