「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「体験」の価値が上がり続けている

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人の所有欲は限定的なものとなり、

人は「モノ」よりも「体験」にお金を支払うようになってきた。

これまでも、私はブログにこのようなことを書いていたが、結婚をして生活が変わったことにより、それを実感している。

 

一人ではいかなかった場所に出かける機会が増えた。

映画館やアミューズメント施設など、どこも人でたくさんなのだ。

 

世の中の人たちは、こんなにも人の集まる場所に繰り出しているのだなと実感する。

おそらく、ほとんどの大人たちは、休みの日にまでこんなに人混みに行きたくないと考えているのではないだろうか。

 

しかし、家庭の事情がそれを許さないのかもしれない。

親として子供たちに経験を積ませてあげることもまた、必要な役割なのかもしれない。

 

そうやって、人は人混みへと集まっていく。

自分の外側に「理由」があれば仕方がないのだ。

 

戦争の始まりだってそんなものだ。

だれも自分が戦闘切って戦争を始めたいなどと考えるわけはない。

民意であったり、合議であったり、他国との利害関係で不利な立場に立たされると、やむを得ず、人は選択したくもない選択肢を選ぶ。

 

なぜなら、その選択を誰かのせいにできるからだ。

そうやって、人は「自分のせいじゃない」と思えると、どんどんバカな方向へと進んでいく。

 

話が逸れたな。

「体験の価値が高くなっている」という話だった。

なぜ、そういう方向に進んでいるのかを掘り下げてみよう。

 

さて、今やSNS全盛の時代。

自らの生活を世界に晒すことによって自己肯定感が満たされるという未曾有の時代だ。

だから、希少な経験をしたことは、希少なアクセサリーを身につけていることと同じくらいに、その身を飾る価値に繋がるのかもしれない。

 

人は、それを本能的にわかっている。

SNSをしなくたって、会話の中でオープンマインドな立ち位置をとった方が、関係は良好に進むから、今の若い世代のコミュニケーション能力は、私の世代と比べて比べ物にならないほど高くなっていると感じる。

 

そういう時代なのだ。

「自分はこういう人間だ」ということを、自らの経験を語ることで相手に示すことを求められる時代。

 

何も経験を持たない人にとっては生きづらい世の中だろう。

コミュニケーション能力の持つ価値が肥大化した。

だから、経験が価値を持つようになった。

 

また、個人でチャネルを持つようになれば、その全てをお金に変えることも可能だ。

資産は組織に紐づくものではなく、個人に紐付くものになるのかもしれない。

だから「個人資産」である「体験」の価値が上がっていると言えるのかもしれない。

私はそう考えている。

 

おそらく、これから先、もっと世界が進んだならば、バーチャル空間での経験が、リアルな経験の価値を上回ることもあるかもしれない。

『竜とそばかすの姫』のような世界になったならば、人はどのように世界と折り合いをつけていくのだろう。

 

「経験」と一口に言っても、この種類は多岐にわたる。

これから先は、どの種類の「経験」が価値を持つようになるのだろうか。

 

「失敗体験」「成功体験」

どのような体験にも価値が生まれる。

良い時代なのか。悪い時代なのか。

判断は難しい。