私は割と「自分の可能性を信じている」方だと思う。
地道にコツコツと積み重ねる習慣がある。
それは、その努力の末に「報われる」ということをどこかで信じているからなのだろう。
だけれども、同じように「自分の可能性を信じている」人でも、地道な努力が未来に結びつくことを信じていない人がいる。
「幼稚的全能感」
理由はないけれども、自分はなんでもできると信じている人。
生まれたばかりの時は、誰だって王様だ。
周りの人がなんでもしてくれる。
そこで醸成される安心感は、子供が子供であるための特権でもある。
アダルトチルドレンにならないためにも、子どもは子どもらしく大人に甘えることは発達上とても大事なことだ。
しかし、大人になっても過保護な状況が続くと、自分が子供のまま、周りがなんでもしてくれると勘違いしてしまい、それが当たり前になってしまう。
そうすると、『名探偵コナン』とは逆となる子供のままの大人が出来上がるのだ。
どこかで苦労をしなければならない。
自分の人生の責任は、自分しか取ってくれないのだ。
他の誰かが代わりに責任を取ってくれるということはない。
歌舞伎役者の不祥事が続くけれど、彼らの多くは、大人になるまでずっと、周りから王様として育てられるらしい。
だから人の心がわからなくなる。
そして社会的に抹殺されそうになると、そこからレジリエンスを発揮することもできずに、自殺という安易な方向に逃げようとする。
要は、自分で課題に立ち向かう術を持たない子供なのだろう。
そのままではいけない。
どこかで変わらなければならない。
痛みを伴う改革を自らに課していくしかないのだ。
誰かのせいにしても何も変わらない。
自分が変わるしかないのだ。