私が妻と出会ったばかりの頃は、毎週末が楽しみだった。
彼女に会うために電車に乗っている移動時間もワクワクしたものだ。
しかし、一緒に住んでしばらくすると、同じ時を重ねることが当たり前になる。
ワクワクやドキドキとは無縁になり、空気のような存在に変わっていく。
それはそれで、関係性の進化なのかもしれないけれども、寂しい気持ちもある。
「最近ワクワクしていないな」
そう感じる。
何かが待ち遠しく、それがあるから頑張ることができるということが私にはないのかもしれない。
人はいつだって無い物ねだり。
あれだけ会うことを楽しみにしていた妻と一緒に生活をしているはずなのに、それに慣れてしまうと、それだけでは満足できなくなってしまうのだ。
関係性は変わっていく。
望むものは変わっていく。
いつまで経っても、足りないものばかりを求めて生き続けるのだろうか。
なんとも業の深い生き物だ。
今ある日々に喜びを見出したい。
「これがあるから頑張ることができる」ということを日常の中に作るしかない。
機械的にタスクをこなしているだけでは、なんのために生きているのかわからなくなる。
私には、「潤いのある目標」が必要なのだ。
カラカラの中で喉を渇かせながら行進していても、あまり得るものがない気がする。
「待つ時間も楽しい」
満たされるためには、そういうことが必要なのだ。