私は「望むもの」を手に入れた。
「素敵な妻」と「男としての経験」
加えて、応援する東京ヤクルトスワローズは、優勝に手をかけており、村上宗隆は55本の本塁打を放ち、三冠王をほぼ手中に収めている。
仕事は相変わらず忙しく、転職前に臨んだ「成長を実感できる環境」だ。
余計なことを考える暇もないくらいに、仕事もプライベートも、順調に先へと進んでいるはずなのに、どこか拭えぬ喪失感に気がつく。
私の人生は、これ以上ないくらいに順調だ。
合理的には価値のつけようがないくらい。
それでも、どこか漂うこの喪失感の正体は、一体何なのだろうか。
人はいつだって無い物ねだり。
暇な時は、忙しさを求め、孤独に苛まれたら、それを埋めてくれる何かを求め、それが満たされたら今度は、また別の足りない部分を探してそれを求める。
今の私は「自由」を求めているのだろう。
それまで持て余していた「自由」に思いを馳せて、
これから始まる新生活に煩わしさを感じているのかもしれない。
人は変化を恐れる生き物。
長いこと孤独と向き合っていながらも、そこに感じていた居心地の良さ。
それと「さようなら」をすることに対して、私は寂しさを感じているのだろうか。
いつまでも先に進めなければ、不満は溜まり、
前に進んだら進んだで、失うものがある。
私は「思い悩むこと」が趣味なのかもしれない。
妻の影響で徐々にポジティブに変わっていく。
それに期待するのも悪くはない。
だけれども、あまりにも妻に寄りかかりすぎてはいけない。
私の分担範囲についての成功は、私の努力で掴み取らなければならないのだ。
私は、ネガティブな過去の自分と訣別して、新しい自分を構築していかなければならない。
そんな決意を求められているのだろう。
長いモラトリアムを越えて、
段階的に表舞台へと引き摺り出されている。
今の私はそんな状況だ。
いよいよ、私が主役となる公演の幕は開く。
自らの内面ばかりと向き合ってきた時を越えて、外の世界に対するアプローチが本格的に始まるのだろう。
「私には何ができるのか」
次の舞台は、それを突き詰めることを求められるのかもしれない。
私にできること、私がしたいと思えること、
それを大きく拡げる作業を毎日続ける必要があるのだ。
先に進んだのであれば、先に進んだなりの苦労がある。
課題を乗り越えたならば、悩みの全てが解決するということは全くない。
これから先も、悩みながら進んで行こう。
それが私らしい。