「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「社会貢献」という名の大義名分

f:id:tureture30:20231121094915j:image

 

 

 

 

「社会貢献がしたい」

 

人事の仕事をしている友人によると、アンケートの結果、昔と比べて最近の大学生はその傾向が強いようだ。

誰かの役に立つことで、自分の心は満たされる。

確かにそういう面はあるだろう。

 

しかし、裏を返せばそれは、他人の役に立ちたいと思うこと以上にやりたいことがない。

そう捉えることもできる。

採用する側からすれば、目の前の人物にどのような思想があり、何を実現するために働きたいのか。

その素の部分が見えないと捉えどころがないように感じる。

 

情報ばかりが溢れており、少し調べればウケの良い答えはいくらでも手に入れられる。

オブラートの中身は見えない。見えないのではなく、もしかしたら中身はないのかもしれない。

そんな空っぽな時代なのだ。

 

「自己承認欲求」

 

それが悪いとは思わないけれども、それが暴走した結果の行動は、あまり良い方向に向かう気がしない。

いくら良い活動をしていても、自己承認欲求が強すぎると鼻につく。

世間はそれを敏感に感じ取って叩く材料に変えるのだ。

 

あるいは、初めは正義感のみで行動していたが、徐々に自己承認欲求に飲み込まれるというケースもあるだろう。

 

人は孤独には耐えられない。

最低限の名声があれば、それだけで誰かが気にかけてくれる。

誰からも必要とされないことはあまりにも辛いから、それを回避しようと躍起になる。

 

その結果として、暴走した自己承認欲求により、ますます信用を失う。

どこでもかしこでも良い顔をして、当たり障りのないような行動を心がけて、調和が生きる目的になってしまったら、何のために生きているのかわからない。

 

自分の心に問いかけなければならない。

何をしたいのか。どのように生きたいのか。

 

中身が空っぽのままだと、いくら立派な鎧を観に纏ったとしても、高が知れている。

最後は中身がものをいうのだ。

それは歳を取ればとるほど実感する。

 

人に対してどのように接してきたのか。

どれだけの苦労を受け止めてきたのか。

自分の命とどう向き合ってきたのか。

 

そういうものが外側に滲み出てくるのだ。

そして、それはどんなに情報を吸収したとしても、一朝一夕で手に入れることはできない。

 

それはAIには真似することのできない、形のある物体としての肉体が持つ確かな力なのかもしれない。

 

自己承認欲求に支配されてはならない。

「社会貢献」を口にするならば、自己承認欲求を飼い慣らさなければならない。

そうじゃないと、かえって信頼を失う結果になることは目に見えている。

 

繰り返すが、人は孤独には耐えられない。

誰かに認めてもらう中で、社会の一員としての実感を手にすることに充実感を覚えるのだ。

 

その魔力に支配されないよう気をつけなければならない。

果たして我々は、本当に「社会貢献したい」と思って生きているのだろうか?

自問自答を忘れてはならない。