時代は変わったのかもしれないけれど、
まだまだ多くの人は「結婚したい」と思っていて、
結婚したら「子供が欲しい」と思っている。
もちろんご縁だから、
望んでも結婚できなこともあるし、
結ばれても子供ができないこともある。
だけれども、
多くの人がそれを望んでいるって、
冷静に考えるとすごいことだ。
「自分の遺伝子を残したい」ってことは、
「究極の自己肯定」だ。
それを望むのは、
単に生物としての本能ってだけなのかな。
それとも社会の慣習に従っているのかな。
多分に漏れず、
私も望んでいる一人だ。
しかし「理由」を聞かれると答えに窮す。
「何で結婚したいの?」
「なんで子供が欲しいの?」
直近の感覚でいえば、
「欠落感を埋めるため」だろうか。
「そういう人生を経験したいから」だろうか。
何とも身勝手に聞こえるな。
相手がいれば「愛情」というものが、
大きく関わってくるのだろう。
「大切に思う人と一緒に生きたいから」
「大切な人との愛の結晶をこの世に残したいから」
先に挙げたものと比べると、
なんともまともに聞こえてくる。
結局は相手がいるから、
こういう欲求が「まともなもの」になるのかな。
もしも人類が「不老不死」になって、
20代の体を維持し続けて、
自らが望むまで命を繋ぐことができるようになったら、
この辺の在り方は大きく変わってくるのかもしれない。
「自分にとっての世界で一番素敵な人」
そんな理想を追い続けることができるのだ。
婚活に疲れ果てているくせに、
こんなことを考えている私はきっと、
ロマンチストなのだろう。
「タイムリミットがあるから踏ん切りがつく」
そういうこともきっとある。
結局人生ってものは、
「バクチ」みたいなものなので、
先に進んでみなければわからないのだ。
それでうまくいかなくても自己責任、
嘆いたところで仕方がない。
時間が限られている。
だからこそ人は美しく輝こうと必死になる。
月並みだけれども、
結局はそういうことなのかな。
人は意味を求める生き物だから、
「人生が先に進まないと気が済まない」
その最もわかりやすいライフイベントが、
「結婚」だったり「出産」なのだ。
もちろんそれが全てではないけれど、
「わかりやすい」がゆえに人気がある。
そう考えると腑に落ちる気がする。
「バクチ」に勝って、
「人生の意味」を手に入れて、
そして最後を迎える。
始まりに愛は必要なくて、
一緒に過ごすうちに育まれればそれでいい。
それもまた人生だ。
相手がいないのに、
結婚をしたかったり、子供が欲しいと思う。
パーソナリティの肥大化した時代だ。
何もおかしなことではない。
「自由」はある意味では「不自由」なのだ。
全てを自分で決めて、
全てを自分で掴み取らなければならないのだから、
どのようなルートを辿ったとしても、
最後は心から納得するものにしたいものだ。