DXやらSDGsやら、
シェアリングエコノミー、
そういう言葉と同列として記載されている、
見慣れないワードを見つけた。
「エシカル消費」
単に私の勉強不足かもしれないが、
初めて目にするワードだった。
簡単に調べると、
狭義での「フェアトレード」
誰もが搾取されない、
そういう生産から流通、
そして消費を目指すというもの、
さらにはそこから先、
発展的に社会貢献を行う付加価値をもたらす。
そういうところまで目指すらしい。
要は「個々人が消費行動を変えていきましょうよ」ってこと、
あれだ。
流行りの「サステナブル」ってやつだ。
そこにいろんな形のアプローチがあるってこと、
少し値が張っても「フェアトレード」や「リユース」「リサイクル」を選んだり、
「送料無料」の先で搾取されている運送業者に目を向けたり、
残業代を搾取される「名ばかり管理職」という立場に抗議の声を挙げたり、
社会という枠組みがあると、
多くの場合はどこかにしわ寄せがいくもの、
「搾取」というと聞こえは悪いけれども、
それに近い構図はどこに世界にもある。
日本人はどちらかといえば、
そういう恩恵を享受する立場、
だけれどもにわかに、
いや徐々になのか、
社会貢献への希求って高まっている。
就活生の多くは、
企業がどういう社会貢献をしているか。
そういうものを気にするらしい。
その多くはパフォーマンスや税金対策だってわかるから、
社会人にかぶれてしまうと、
そんなことは大して気にもしなくなるのに、
「景気が悪い」といわれても、
それでも日本は物質的に豊かなのだ。
(もちろん世界の中で相対的にという意味で)
だから外に目を向ける余裕がある。
そして自分の行動の先にあるものにも目を向けるようになる。
そういうところで自尊感情を満たそうとする。
その気持ちはわかる気がする。
誰かの役に立ちたいのだ。
自分の存在価値が揺らぐほど、
人は優しくなれるのかな。
うまくいっているとどこか傲慢になってしまう。
知らず知らずのうちに傲慢になっている。
そしてどこからか取り返しがつかなくなる。
きっとそういうもの、
いつまでも謙虚で、
イライラすることがあっても、
やるべきことには支障を出さないようになりたい。
このままでは、
自分が嫌いになる一方だ。
このままだと、
自分がどうなりたいのかを見失ってしまうな。
「エシカル消費」
人のためのように見えるけれども、
結局は自分のため、
どこか満たされない自分自身を、
人の役に立つことで満たしたいのだ。
億万長者になると、
揃って慈善事業を始める。
経済だけではない。
人の心にも「神の見えざる手」が働く。
需要と供給というものは、
どうやら私が思う以上によくできているようだ。