ここ最近の私は「嫉妬」を向けられる機会が多い。
昔は手に入らないものばかりに固執して、嫉妬する機会の方が圧倒的に多かった。
そんな私の環境は変わったのだ。
そうすると今度は「嫉妬」を向けられる側になる。
人の気持ちはなんとも難しいものだ。
私にとっては、今の環境は前の比べると過酷なのに、他人から見ると羨ましく思うのだろうか。
SNS全盛の時代。
キラキラした瞬間ばかりを切り取って、それを自らのアイデンティティとして投稿する。
だから他人から見れば、その人は羨むべき対象となるのだけれども、現実はそんなに甘くはない。
キラキラした瞬間のために、その何十倍もの時間を苦労に費やしているのだろう。
「喜び」があれば、それを掴み取るための「苦労」がある。
その「苦労」無くして手に入れた幸運による「喜び」を人は称賛しない。
そのことを幸運な当人は自覚しているから、自尊心は満たされない。
誰にもその人なりの苦しみがあるのだ。
「嫉妬する側」「嫉妬される側」
そのどちらにもその人にしかわからない苦しみがある。
そこまで想像して生きることは難しいけれど、想像することを諦める人生にはしたくない。
そのためには、あらゆる種類の苦労をすることが必要なのだ。
今の私は環境が大きく変わったことで、悩みの種類も大きく変わった。
それは私にとって、人生の幅を広げてくれるありがたいことなのかもしれない。
人生の隅から隅まで楽しむほどの体力は私にはない。
それでも、今の環境に対して主体性を持ち続けたいと思う。
最近は「若さ」に対する嫉妬を感じる。
人は気がつかないうちに、どんどん歳を重ねているのだ。
茹でガエルのように、気がついた時には手遅れだったりすることも多い。
日々コツコツと前に進み続けたい。
後悔のないように生きるためには、
それしかないのだ。