2025年になると、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者に突入することで、社会保障費の現役世代に対する負担が増える。
また、団塊の世代が完全に労働環境から外れることで、人材確保が困難となる他、レガシーに対する知識を会社に蓄積することができていなければ、それはブラックボックスとなる。
会社は世代交代を急速に進めることを求められているのだ。
役員待遇で会社に残っている世代も、75歳になれば引退を考えることが多いのだろう。
主に人脈がモノを言う業界では、その世代が完全に抜けることで、体制が成り立たなくなるケースがあるのかもしれない。
そうならないような体制づくりを、残り1年余りで進めなければならないのだ。
新しい時代を切り開くためには痛みを伴う。
境町を誰かが引き受けなければならないのだ。
そうなると割を食うのは私たちのような中堅世代だろう。
上からは無理難題を突きつけられて、誰かに任せることのできる立場でもなく、誰も背負って来なかったツケを返さなければならない世代なのだ。
少なくとも10年は同じ問題が続くだろう。
そう考えると私たちの社会人生活は、これまでのツケを払うことに費やすことになるのかもしれない。
それは仕方のないことなのだ。
誰かが背負わなければならない。
生まれてくる時代を選ぶことはできない。
もしかしたら、私たちはまだマシで、これから先はもっと大変な時代になる可能性もある。
戦時中と比べれば命の危機がないだけ恵まれていると捉えることもできる。
突きつけられた課題と向き合うしかないのだ。
「生きる」と言う選択をし続ける限りは、努力を続けなければならないのだ。
生きることは楽ではない。