私の働く会社でも、年々コンプライアンス意識が高くなり、今では過剰ではないかと思えるほどだ。
年に何人かはパワハラで告発されて、とある部署へと送られる。
その部署はやらかした人たちの集まりとなり、実際にどのような仕事をしているのかも不透明な窓際部署のようになっている。
その姿を見ていて感じること。
「新しい時代に突入したのだな」と実感する。
私の世代はまだ体育会系のノリの中で学生時代を過ごしてきた。
社会に出てからも自分が下の立場のうちは、怒鳴られたり理不尽な仕事を押し付けられたりしながら仕事を覚えてきた。
しかし、今の時代では上司が部下の顔色を伺いながら仕事を割り振るようなケースを目にするようになった。
そうなると、部下から見て管理職は魅力的に映らなくなる。
少なくとも社会人になって程なくは、仕事を頑張るモチベーションの一つとして、出世に対する意欲というものが少なからずあると思うが、私も含めて、今の会社で出世して給料が上がったとしても、それに見合わない苦労を背負うことになるために見えている。
出世が貧乏くじとなる。
そういう時代に突入しているのかもしれない。
「ティール組織」や「心理的安全性の確保」などというフラットな関係性を重視する傾向に進んでいる。
それはそれで良いことなのだろうけれども、最終的に誰かが責任を負わなければならないのだ。
そして、いかに多様性を認めることを推奨しても、誰も不満のない組織づくりなんて不可能に近い。
その不満の矛先にならなければならない役割が管理職であるならば、不可能に近いミッションを失敗した責任を押し付けられるのは管理職ということになる。
従業員の多様な不満全てを解消することなど不可能だ。
しかし、従業員の立場が強くなればなるほど、管理職は不満に対処することを求められる。
それに失敗したり、感情的になって不適切な対応を一度でもしてしまうと信頼は失墜する。
果たして、そういう社会のあり方は正しいのだろうか。
もっと一人一人が、管理職者を含めた一人一人のことを人として尊重できればいいのにね。
会社というものは、利益を得るという目的を共有したゲゼルシャフトだから、ある程度は疎結合であることは仕方がないのだけれども、部下である立場の人が強い立場を傘にして、自分の都合ばかりを主張するようになるならば、会社組織は成り立たなくなる。
いい大人なのだから、一人一人が自立した個人として責任を果たすことが必要なのではないかと感じる。
これからの時代は、ますます権利を主張する「輩」のような人が増えていくだろう。
その中で、人をマネジメントするということは大変なことだ。
私の働く環境を見回しても、とても割に合わないと感じる。
「個」を尊重する方向に進みすぎるあまり、おかしな時代に突入してしまわないことを願う。