ビジネスでもそうだし、プライベートでもそうだ。
便利になればなるほど、人は道具に縛られていく。
いつでも気軽に連絡を取り合える。
人はそんなコミュニケーションツールを当たり前のように使用するようになった。
家に居ながらにして無料で衣食を配送してくれるシステム。
今はまだ人の手で配送しているけれども、それすらも人の手で行うことがなくなる時代は、すぐそこまできているのかもしれない。
今はまだ稚拙なところがあるけれども、ゆくゆくはなんでもChat GPTにお伺いを立てながら意思決定をする。
そんな時代も影が見えてきた。
それが果たして人類にとって良い影響を与えるのか。
それは議論の余地があるところなのだろう。
それでも、どんどん世界は便利になっていく。
まるで人の意思とは離れて、世界自体が意思を持っているように、どんどんどんどん便利になっていく。
まだまだ人は効率化を求めて、それが高い価値をもたらすことを信じているから、その傾向が変わることはしばらくないだろう。
しかし、どこかでターニングポイントがあるはずだ。
シンギュラリティと呼ばれる特異点を迎えて、AIがAIを生み出すようになったならば、文字通り世界は人の意思を離れて動き出すだろう。
その先の未来は人には計り知れないものなのかもしれない。
そうなった時に人の意思がどちらに向かうのかを考えてみると、おそらく原点回帰。
生物としての本能を満たす方向に向かうのではないだろうか。
人の意思とは関係なく一人歩きしたAIが暴走して、人類を支配するような『マトリックス』や『ターミネーター』のような未来。
そうなったらならば人類はなす術なくその身を委ねることになるのだろうか。
自らの心と体を鍛え続けること。
どんなに便利な世の中になったとしても、それを忘れないで生きたい。
成長を実感できない人生は辛い。
人は生きるために、自分が前に進んでいるという実感が必要なのだ。