「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「出世欲」について

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私の中にある欲望。

おそらく一番大きなものは「成長したい」というもの。

そして、その「成長」の目指す方向は「魅力的な人格」ということになる。

 

「当たり前のように人のために行動できる」

「目の前の1人に真摯に向き合える」

「人のことをなるべく記号や道具として扱わない」

私の目指すところはそんなところだ。

 

しかし、社会に染まりながら生きていると、どうしても社会的な立場とフィックスさせなければならないところがある。

「私の目指すところ」と「社会的な立場」はリンクするのだろうか。

 

おそらく少なからずリンクするところがある。

「社会的な立場」というものが、自らの歩みを客観的に肯定してもらうだけの説得力になるからだ。

 

「自分の価値は自分で決める」

そんなカッコの良いお題目を唱えたところで、結局自分の魅力は「人から見た魅力」ということになる。

 

どんなに人格が優れていたとしても、それに社会的な立場が伴わなければ、自己満足で終わってしまう。

それが悪いとは思わないけれど、私はそれだけで終わりたくはないと思っている。

 

つまり、私は自分の歩みや生き方を周りに示すために、ある程度は社会的立場を得たいと考えているのだろう。

それが私の「出世欲」の根源だ。

 

「働くことが生きること」

そうなってしまったならば本末転倒だ。

 

あくまでも私は、自分の理想とする人格や生き方の正しさを証明するために、社会的立場を得ることを目指している。

 

お金をもらえるに越したことはない。

だけれども、お金をたくさん貰ったところで、私にはその使い道に心当たりはない。

妻も働いていることから、今の世帯収入で生活に何も困ることはない。

「何かあった時の保険」そのくらいのものだろうか。

 

それくらいのスタンスが健全なのかもしれない。

「社会的立場」なんてものは、ある程度あれば良いのだ。

キラキラ輝くほどの立場は、自由に生きるための足枷となる。

 

それに立場が上がれば上がるほど、その魔力に取り込まれて、立場を守るためになんでもするようになる。

その影響で、私が目指すところから遠ざかってしまったならば本末転倒だ。

 

今は昔ほど、人生に対する仕事の影響度は高くない。

ドラマ『転職の魔王様』

小芝風花さん演じる主人公のように、自分の価値を人の評価に委ねると、どこかで歪みが生じてしまう。

 

全ては「豊かな人生」を歩むために行動するべきなのだ。

そして、そのための取捨選択は、全て個人に委ねられる。

 

優しいようで過酷な時代。

いまはそういう時代なのだ。